「Global Shapersと語る。僕らの道プロジェクトー表現の可能性を追い求める者たち編ー」(後編)

皆さんはGlobalshpers(グローバルシェイパーズ)という名前をご存じだろうか?

彼らは、世界経済フォーラムというスイス・ジュネーブに本部を置く非営利財団によって任命される33歳以下の若者たちで、多様なバックグラウンドを持ち、社会に貢献する強い意志を持つ人々によって構成されている。

世界400都市以上にハブがあり、5000人程度がグローバルシェイパーズとして活動している。

そうしたシェイパーたちが地域でコミュニティを作り、地域における社会課題を解決するプロジェクトなどを行うことを目的としているのだ。

今回、そのGlobalshpers(グローバルシェイパーズ)の皆さんにご縁をいただき、彼らは具体的にどのような人たちで、どういった活動を行っているのかを取材させていただいた。

社会に対して明確な意思を持ち活動している彼らの日々に迫るインタビュー企画。

第二弾は、「Global Shapersと語る。僕らの道プロジェクトー表現の可能性を追い求める者たち編ー」

ということで表現者の方にお話を伺い、自分の表現へのこだわりと苦悩を語っていただきました。

本企画は、二部構成でこちら第二部です。第二部では前記事の座談が終わったあと、再びGlobal Shaperのお二人で座談について振り返ります。

 

写真左から:高田真理さん、中西 浄華さん(以下敬称略)

高田真理(Mari Takata)
「広告プランナー/Global Shaper。学生時代は、京都で外国人観光客の案内や、紙芝居屋のヤッサンに弟子入りし、清水寺などので紙芝居口演を行う。2014年「世界一の紙芝居屋ヤッサンの教え」(ダイヤモンド社)を出版。趣味は旅と料理。

中西 浄華(Kiyoka Nakanishi)
「タップダンサー/Global Shaper。京都府伏見区出身。1990年生まれ。同志社大学英文学科卒業。実の妹である中西 優華さんと華~puspa~というタップダンスユニットで活動中。2014年には、Dance World Cup 2014 World Finals in Portugalに初挑戦。Open Duet/Trio Tap部門で優勝し、Tap部門日本人初の金メダリストとなった。


完璧なものが人を魅了するとは限らない


高田:私が皆さんのお話をお聞きして面白いなと思ったのは、「人間にしかできない表現ってなんだろう」ということと、「どんな表現が人の心を動かすんだろう」という問いです。
 人間の生み出す不確実性が、完璧じゃないからこそ、人の心を動かすのかな。表現者として完璧を求めてはいるんだけど、完璧にはなり得ない。だからこそ、見ている側に緊張感があってそれが心に響く。その点は表現方法は違えど、皆さんに共通していたと思いました。

中西:思いがけずそんな話になりましたよね。完璧を追い求めて、精巧な技術を身につけるんだけど、完璧じゃないところに良さが求められるっていうのは、なんかちょっと面白いですね。とても人間的だと思いました。

高田:私は今広告会社で働いていて、広告もその表現方法の一つだと思っています。でもそんな広告の世界でも「AIに取って代わられるかもしれない」といった話はあります。

中西:それは実際にどう代わられていくんですか?

高田:例えば、商品のキャッチコピーを考えてくださいって言われた時に、今は、その会社や商品、顧客について調べたものをもとに、プランナーやコピーライターが都度頭をひねって企画書やコピーを書いています。そういう過程がAIによってとって代わられ、AIがこれまでに社会でウケたものを自動的に分析して、今後最もウケそうなアイディアを選んで、コピーを決定する…といったようなことが言われています。

 そうなった時に、人間の介入する部分はどこなんだろうと考えると、やはり「完璧じゃないからこその面白さ」にヒントがあると思えるんですよね。ただ完璧を求めてしまうと面白みがなくなってしまうので。

 だから、表現と、企画や広告というのは、一見違うようですが、そこに不確実性と、完璧ではない「からこそ」生まれてくる面白味、の両方がある点でとても似ているかもしれないと思いながら聞いていました。

中西:たくさんの仕事や技術がAIに奪われるんじゃないかってよく言われていますけど、今日みんなと話していて思ったのは、表現者がその流れに逆行して、人間の原点を追い求めているのではないか、ということです。

 時代に逆行していても、そういう表現は技術とはまた別の軸で残っていくんだろうなと思います。なにかそこに文化の根幹というか世の中に残るもの、人間の本能で求める文化の存在意義があるんじゃないでしょうか。

高田:文化とか型っていうと結構カチッと決まっちゃっているのかなという印象を受けますが、そこにやっぱり完璧はないし、ちょっとずつ自由度の程度の差はあれど、曖昧さは残して伝わっていくものなのかもしれません。

 それから、「ゆらぎ」みたいな話もありましたね。

中西:ゆらいでいたり、もがいていたりするのが実は美しいのではないでしょうか。機械の完璧に対しての「人間のもがき」が。

高田:確かにそうですね。そこに人は感動したり、共感したりするのかもしれません。

中西:完璧な機械が出した答えには寸分の狂いがないし、決まった正解があります。でも、芸術ってもっと違う尺度で評価が出来ますよね。もちろんスタンダードや、守るべき”型”みたいなものはありますが、かっこよかったらそれがまた一つのスタイルになることもあります。正解が決まってないから、新しい型がどんどん生まれていくというのが文化の形なんでしょうね。

高田:最近「美しい」ってなんだろうとよく考えます。「美しい」って、見た目の美しさだけじゃなくて、今の話に出てたような、緊張感であり、「もがき」であり、「余白」であり、そうした表現者自身の人間らしさを感じさせてくれるものなのかなと思いました。

「伝える」こと、「伝わる」ことの乖離があるから面白い


高田:また、印象的だったのは、「自分の中で定義しきれないものが意図せず伝わる」とか、お客さんからリアクションが自分に伝わって磨かれていくということですね。相互作用で作品が作り上げられていくというのは私も紙芝居やっていたので共感しました。

中西:思ってもみなかったところで爆笑が起きたり、とかですか?

高田:そうですね。一応、ストーリーを語るっていう台本はあるのですが、向こうからリアクションがあったら、そこに対してアドリブを加えたり緩急を変えたり……それを、前編のインタビューでは、「生き物的」だという話をしていましたね。

中西:ある程度の台本、シナリオはあるけど、そこに生の変化が出てくる、ということですよね。

高田:はい。そこが、ジャンルは違えど共通していたところだと思います。

中西:表現は予測不能なのが面白いですね。私は昨日公演会だったので、そのときにアンケートを書いてもらったんですけど、やっぱり意外な事実がいっぱい出てきました。

 Chairsという曲があって、椅子に二人並んでニコニコしながらかわいらしい感じで踊るんですけど、アンケートを読んでいると、「Chairsで大号泣」って書いてあって……大号泣?!ってなりました(笑)楽しい感じで観てもらえるかなと、この作品を選んでいたのですが、初めてNYで踊った作品だったので、何か伝わるものがあったのかもしれません。受け取る人や、場の空気、こちらの感情も、全部「生き物」なので、そこで新たな相互作用が生まれる。なんか、人生みたいですよね。ミニマムな社会が表現活動の中に生まれる感じがします。

高田:なるほど。

中西:例えば、行政が予算の組み方とかを考えるときに、やっぱり命に係わる社会問題が発生したら、そこに予算が多くつぎ込まれるのは当然なので、芸術とかの優先順位って低くならざるを得ないじゃないですか。

 そういう状況でパフォーマンスやエンタテイメント、アートの必要性を説明づけるものって何なのかずっと考えていたんですけど、仕事とかと逆のベクトルだっていうことが、その答えなのかもしれません。それで文化芸術は今まで残って続いてきたのかなと。

高田:なるほど、日常生活や仕事だと、予想された結果が出せなかった時、全然予想と違う結果になった時に、プロジェクトとしては失敗・不正解、となるから意図せず生まれたものをポジティブに受け止めにくい。でもエンタテイメントやアートは逆ベクトルだからこそ、普段の生活の中で動かない感情が動く、そこに何かしらの出会いがあるのかもしれないですね。

中西:正解がひとつって決まっているお仕事の世界と、一回一回にそれこそ「ゆらぎ」があるエンターテインメントの世界。後者は全部不完全だと思うんですよ。

 でもその不完全なものをみんなが見に来て、「今日はあそこの間、いつもと違ったよね」といったように、完全じゃないものに楽しみを覚えたりとか、それがまた新たな正解になったりとかする。芸術って、不完全さがいいというパラドキシカルなものだと感じますね。

高田:意図したことが伝わらない、意図しなかったことが伝わって広がっていく…広告の仕事でも、紙芝居でも、「伝える」と「伝わる」は違うんだなと実感することは多々あります。

中西:「伝える」と「伝わる」って面白いですよね。私は今やっている仕事を自己表現(伝える)でありコミュニケーション(伝わる)だと思っていて、パフォーマンスでその両面をこれからも見ていきたいと思っているんですけど、その上でもこの2つの違いはずっと課題になる部分だと思います。

高田:そうなんですよね。仕事では、「伝える」と「伝わる」に乖離があると難しい部分はありますが、乖離から生まれるものもあるという捉え方は面白いと感じました。

 

個性ってどこまで出していいんでしょう?


中西:ここは崩したくない」という守りの気持ちと「ここは時代に順応・変化させていきたい」という攻めの気持ちの間での葛藤は、芸術や文化に関わっていれば必ず生まれる悩みだと思います。でもそれは、それらが存続する上で切っても切り離せないものですよね

高田:その2つの気持ちにどう折り合いをつけ判断していくかもすごく難しいでしょうね。

中西:この葛藤って社会に出たときに自分の個性をどこまで出すのか、どこまで人に合わせるのか、というのとすごく似ていると思うんですよね。例えば、日頃自分の思ったことを表現して、相手が求めているものとは違う答えを言うのか、という葛藤とか、誰しも経験したことがあると思います。そう考えるとやはりパフォーマンスも、表現活動でコミュニケーションなんだなと思います。

 私はほんとに「ダンスしか知らない人」なので、人生からダンスを見るよりも、ダンスしてる中で人生が見えることの方が多くて。ダンスって昔はもっとやっている人が少なかったので、「目立ちたがり」とかって思われないか不安でしたね(笑)

 だからダンスをやっている自分をどこで出すかというのに悩んだことがあったんです。自分のスタイル、みたいなものがわからなくなってしまって。

高田:自分の個性、スタイルとして譲れない境界線って何なのでしょうか。

中西:どこなんでしょう。今でももがいています(笑)

高田:そこはもしかしたら、「ここだ」とは決められないものなのかもしれないですね。

中西:相手によって答えが変わったり、環境によっても変わるかもしれないですよね。

 海外に行くと価値観が全然違って、気がふっと楽になることもあるので、関わるコミュニティが変わると本当の自分は変わるかもしれないですね。国によって、いわゆる「良い/悪い」とか「多い/少ない」が逆転したりする。ダンスをやってても、同じような構図の変化を感じることはあります。

高田:今いる環境の中で揺れるけれども、でもこれでいくんだ、みたいな感覚が、自分のスタイルなんでしょうか。

中西:そうですね。昔異種混合のコンテストにタップで挑戦してた時期があったんですが、結構酷評されたりしたんですよ。それが自分を否定されてるようですごく辛かった。

 でも、全く同じ作品でNYの舞台に立ったときにはフルスタンディングオベーションになったんです。自分は変わっていないのに周りの反応が大きく変わることがあるんだなとそこで実感しました。自分が変わることだけが必要なんじゃなくて、関わるコミュニティを変えるだけで自分らしく生きられる、それを教えてくれたのはダンスでしたね。

 

完璧はないけどより完璧に近づけた形で伝える


中西:「表現」って、その文字上は、「表(おもて)」に「現(あらわ)」れた、と書きますけど、意外と表現って、みんなが見ているのはその裏にあるものなのかもしれません。

 だからどんな過程でその表現が出てきたのか、それが重要になってくると思います。表現って結果だと思ってて、その裏には元になる部分が絶対ある。表現という結果を通してその奥を見た時に心が動いたりするのかなって思いました。

 

ー浄華さんが表現を伝えたことの結果とするなら、私たちは表現を見たことによって、想起するものがあった時に感動とか揺らぎに気づいたりするのかもしれないですね。だから「伝える」と「伝わる」が違う時もあるし、それがたまたま一緒になる時もある。

中西:
まさにそんな感じだと思います。酒田くんから、「100%失敗のないジャグリングというのは決して無い。いつまでも不確実なものと闘い続けなけらばならない」っていうお話がありましたが、不確実なまま完璧を目指すっていうその「美しいもがき」を、私たちは知らず知らずのうちに見ているのかなと思います。どこか潜在的に感じ取っているんでしょうね。
 

 「完璧はないけどより完璧に近づけた形で伝えるんです」って表現者本人が言ってくれることによって、より理解が深まるような気がします。実際にパフォーマンスをするところを見ていて、努力の熱量に自然と気づいたとしても、それがどういう言葉として言語化されるのかが今回の座談会で聞くまで分からなかった。だからさっき、お話を聞いた時に、「なるほど、そういうところに対して興味を引き起こされるんだ!」って初めて本当に理解できたような気がしました。そうやって、言語化していくことも、表現者の役割なではないかと思います。

ダンサーとして生きること


中西:表現者にも、他の社会人と同じ土壌で会話できる環境が欲しいなって思っていて。パフォーマー・ダンサーっていうのが、一つの職業として認められてないなと感じるというか、なんだかすごく社会的に下に見られているのかなって感じることがあるんです。簡単に言えば「ダンサーよりも、起業家・社長さんの方が偉い」みたいな雰囲気ですね。

 だけどシェイパー(Global Shapers)の皆さんは、それぞれ全然違うことをしているけど、他の分野の人を尊重しているんです。その上で一緒にいい社会を目指して頑張りましょうって言う空気がすごく好きで。

 自分の中にある一つの基準、例えばお金といった経済的な視点もそれになりうると思いますが、そういうもので上下を作ろうとする人がいる一方で、同じ目線で語ってくれる人もいることがすごく貴重だと思いますし、本来それが当たり前であってほしいと思います。やっぱり、自分が表現活動で工夫したり、自分の文化をたくさんの人に楽しんでもらえるために広めたりしたいのは、そういう上下関係がなくなればいいなって思っているからかもしれません。


ーお金を稼ぐことが良いこととされている社会だからこそ、お金という尺度で判断される。人によって何に良さを感じるかは違うのに、なんか変ですよね。

中西:お金が稼げることと、ダンスが上手いということ、どっちが上でも下でもないと思うんですよね。特に表現者だと、お金のことよりも、自分のやりたい表現を大事にするすることがあるかもしれません。となると、稼げること最優先の人とは優先順位が逆になる。物事をはかる視点は一つではないし、価値観も人によっていろいろあるいうことです。表現者とか社会的少数者の人たちは、そのことをすごく理解していると思いますし、それはこれからのダイバーシティ社会を生き抜く一つのエッセンスじゃないかなと思うんですよね。

 

紙芝居はコミュニケーション


ーー高田さん自身の京都への思い入れって何かありますか?

高田:私は学生時代、京都で紙芝居をしたり、外国人の方を観光案内する活動をしていました。。その中でいろいろな人との出会いがあり、京都に惹かれてくる人もいれば、面白い人がいるっていう理由でくる人もいました。

 京都にいれば自然と刺激とか出会いがあるということは私にとっては魅力でした。私は勤務先は大阪で、住まいは京都なんだけど、やっぱり京都がいいなと思う。それは京都にいいものを残しつつ新しいもの生み出すという素地があるから、面白い人が集まっているんだろうなと思うからです。

中西:私は生まれてからずっと京都の中にいたので、京都でいろんな人に会えるっていう感覚は、あまり気づいてなかったですね。

高田:だから今回は表現というテーマで京都を中心にパフォーマンスをしている人に話を聞かせていただきました。アーティストの方達の中には京都にこだわってやっているユニークな人は多いかなという印象があります。今後もどんどん京都という地にこわだって活動している人に会ってみたいですね。

ーー今日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。


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社会に対して明確な意思を持ち活動しているGlobalshapersの皆さん日々に迫るインタビュー企画。第三弾は、「GlobalShapersとゆく。東北を体感しつくす3日旅」です。

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お楽しみに!

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