【東北3県取材第一弾】福島の今を知る。-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-

先に行われた2017衆議院議員選挙。選挙で一時的に注目された争点が、選挙の結果からどうなっていくことが決まり、実際にどうなっていっているのか。
選挙時は頭をひねって関心を持っても、その後を知る人は、意外と少ないのではないでしょうか。
今回、SeiZeeはalleyとしてこの2ヶ月間、選挙で争点になったこと、そして大事なのに語られなかった争点も含め、約10の争点の「選挙後の未来」と「現場の声」を可視化します。
選挙で注目された争点には、どのような議論があり、選挙でどういう決定が下されたことになり、今後どう進んでいくのか、を解説記事と現場のインタビュー記事からお届けするこの企画、「シリーズ-2017衆院選後の未来-」。初回となる今回は、争点①復興支援をお届けしています。解説記事はこちらから。

セットとなる現場インタビューでは、岩手・宮城・福島の3県に実際に行った今の東北をレポート。

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実は今回の取材、Global Shapersの皆さんにご縁をいただいて同行させていただいたものだ。
記事の中にある彼らの価値観が垣間見える発言などにも注目していただきたい。

Global Shapers(グローバルシェイパーズ)とは…

世界経済フォーラムというスイス・ジュネーブに本部を置く非営利財団によって任命される33歳以下の若者たちで、多様なバックグラウンドを持ち、社会に貢献する強い意志を持つ人々によって構成されているコミュニティの構成員。日本にも全国に支部(ハブ)があり、所属するシェイパーたちが地域でコミュニティを作り、地域における社会課題を解決するプロジェクトなどを行うことを目的としている。

取材は3日間にわたり、東北3県、岩手・宮城・福島を回った。取材レポートは4弾にわかれており、第一段目は、福島での取材の様子をお届けする。

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7月某日。夜行バスで京都から夜行バスにゆられること6時間。私は上野の駅にいた。

待ち合わせ場所のジャイアントパンダ前にいると声がする。本日の旅の1人目、品川皓亮さんだ。

 

●品川皓亮 Kosuke Shinagawa

1987年生まれ、弁護士、現在は株式会社LiBソリューションパートナー。学生時代から旅とビジネスに興味があり、2011年に外国人旅行者と京都の伝統文化体験をマッチングするサービス「MeetUs Kyoto」(現・株式会社MeetUs)を創業。これまでに日本実業出版社より2冊の法律本を出版し、2017年にはダイヤモンド社より新著を出版予定(現在執筆中)。京都大学総合人間学部では哲学・宗教を専攻し、現在も仏教など東洋思想を独学で勉強中。

 

そうこうしているうちに、もう一人のお姉さんが登場。今回の旅の2人目、加藤直子さんだ。

 

●加藤直子 Naoko Kato

現在は”既にある未来の可能性を実現する”をテーマに、異なるセクター、異なる地域、異なる職種など領域を超えた協力を生み出し、イノベーションを通じて社会進化が加速することに取り組み続ける、NPO法人ミラツクで活躍中。幅広いリサーチをもとに実際に足を運びインタビューを通して現場を研究中。

 

こうして揃った私たちは、改札へと向かう。すると、改札でもうひとりの男性が現れた。初めまして、よろしくお願いします、と気さくに笑うその方は今回の旅の3人目、西川翔陽さんだ。

 

●西川翔陽 Shoyo Nishikawa

東京都国立市出身。早稲田大学商学部卒業、カリフォルニア州立大学アーバイン校にて留学。電機メーカー入社後、本社経営企画室を経て、新規事業開発に従事するとともに、東南アジアの若者の交流を促進するNPO法人Learning Across Bordersの運営に携わり、ミャンマーNo.1のドキュメンタリーフィルムカンパニーTagu Filmsの国内展開責任者。2017年、ユーザベースに入社。東京大学の研究員として、次世代の食物生産技術の研究プロジェクトにも取り組んでいる。趣味は登山とマラソン。

 

集まった一行は上野から特急にゆられ、仙台へ向かう。特急券の購入に手間取り、みんなバラバラの席だ。仙台に着くと、そこで最後の1人に合流。徐東輝さんだ。

 

●徐東輝(Tonghwi soh)

1991年大阪生まれ 。京都大学法学部、同大学院卒 。院生時代に、若者の投票率と質の向上を掲げ学生団体ivote関西を創設。その後、NPO法人Mielkaとなり、政治教育事業及び政策情報分析事業を行う。Legal Techを推進する法律事務所ZeLo及びLegal Force inc.にて2017年12月より弁護士。世界経済フォーラム(ダボス会議)グローバルシェイパー ・G1 U30ボードメンバー(政治,行政,司法) 。著書には、『憲法の視点からの日韓問題』

 

こうして4人が出そろったところで今回の旅の流れを説明しよう。今回の旅は3日間。1日目に福島、2日目3日目に岩手・宮城へとゆく。1本目であるこの記事では、1日目の福島での旅をレポート。2本目では、福島原発に関する談義、そして3本目では、岩手・宮城での旅をレポートする。

 

車で福島の広野に入る。ここから福島県内の案内をしてくれたのが、AFWの吉川彰浩さんだ。

 

●吉川彰浩(Akihiro Yoshikawa)

1980年 茨城県生まれ。高校卒業後、東京電力株式会社に就職し、福島第一原子力発電所、第二原子力発電所に14年勤務。2012年,福島原子力発電所で従事する方々を外部から支援するため同社を退職。2013年「Appreciate FUKUSHIMA Workers」を立ち上げ、「次世代に託せるふるさとを創造する」をモットーに福島第一原子力発電所従事者支援と福島県双葉郡広野町を中心とした復興活動に取り組む。 2014年11月一般社団法人AFWを立ち上げ、目先の改善ではなく、原発事故後の被災地域を如何に、次世代に責任を持って託すかを模索する団体活動を展開。 活動を通じて「廃炉と隣合う暮らしの中で生活根拠」を持てるよう、近くて遠くなった「福島第一原発」を視察という機会を通じて、一般の皆さんと一緒に学ぶ活動や、元社員としての知識を活かし「分かりやすい福島第一原発の廃炉状況」を伝える学習会を行っている。 現在も、家族親類を含め原子力事故による避難生活中。 ・団体web:http://a-f-w.org/ ・facebook:吉川彰浩

 

開口一番彼が言った言葉がこの旅のすべてを表していた。

「今日は来てくれてありがとうございます。福島を、楽しんでいってください。食べ物もおいしいし、人は良いし、本当にいいところですよ。」

吉川さんはそこで津波がここまで来たこと、その時のことを、伝わるように説明してくれた。
私はその説明を聞きながらも、考えていた。
そうだ、この福島は、もう、楽しめる町なんだ。どこか福島を’視察’のような観点で見ていた自分に冷や水を浴びせられた想いがした。

 

海辺の駄菓子屋で「不安だけど、住みたい」

吉川さんが、海にほど近い駄菓子屋さんに連れて行ってくれるという。
なんと最近やっとリニューアルオープンした駄菓子屋さんなんだとか。小さな子どもを連れた家族連れも訪れる人気店だ。あまりの懐かしさに一同はしゃぎ、駄菓子を大人買いするシェイパーズたち。

店の外には地元でとれた海産物を炭焼きにして売る方もいる。いい匂いのする煙と懐かしい空気が交差し、大人も童心に戻れる、あたたかい空間ができている。店の外で大人買いした駄菓子をほおばりながら、駄菓子屋を営む女将さんに話を聞く。

加藤さん(以下敬称略)「ここでずっと駄菓子屋さんをされているんですか?」

女将さん「そうだねえ。もうずっと。私たちにはこれしかないから。」

そう言って笑う女将さんに、こみあがる想いがある。ふとよく見ると、この駄菓子屋さん、隣の新居が目に入る。実は、震災後家が流されてしまったために住居を離れていたが、震災後7年、やっと駄菓子屋を再オープンさせたと同時に、震災前と同じ場所に新居を建てたのだという。

加藤「ここにもう一度おうちを建てることに迷いはありませんでしたか?」

その問いかけに、女将さんはお店のご主人を見ながら言う。

女将さん「もちろん私は怖さもあったわ。でも、あの人が慣れ親しんだここにもう一度住みたいって言うもんだから。孫のこととか考えると不安だけど…」

 

そこに住んでいた人にとっては、震災の街である前に自分の慣れ親しんだ町。そこにもう一度住みたい、というのは危ないと思っていないからでも、あの時の記憶を忘れたわけでもなく、そこがただ好きだからだ。

 

防潮堤でボルダリング?スケボ?「どうせなら楽しめる場所になって欲しい」

 

駄菓子を楽しんだ後は、吉川さんが防潮堤に案内してくれた。

陸地からでは海を全くかき消すようにそびえたつ防潮堤。以前東北に行った時も、「海が見えなくなる地元住民の気持ちをわかっていない」「防潮堤の高さは場しのぎ的で適切ではない」などの声を聞いたが、やはりそれは東北どこの県でもあるようだ。

そこで楽しみ上手な吉川さんからこんな提案があった。

「防潮堤、皆さん登れます?」

そういわれて登らないシェイパーがいなかったことに心から驚いたが、次々登っていくシェイパーたち。

 

 

最後までたどり着いたり着かなかったり。想像以上の高さを実感したと同時に、登ってズボンが破れて気づいたことは、

「防潮堤だって、案外楽しめる」

ということだ。

もちろん、防潮堤にたくさんの疑問符がつくこともわかる。大切な海が、生きがいだった海が見えなくなること、ともに暮らしてきた海が遠くなること、その苦しみや悲しみはそこに暮らした人にしかわからないものだ。しかし、吉川さんは言う。

 

「もちろん、住民の人の気持ちもすごくよくわかるんだよね。ただ、こうやって出来たものをよく使っていくことに頭を使えたほうがみんな幸せなんじゃないかなって思う。だって、登ってみてわかったでしょ?登れるし、スケボだって出来ちゃうかもしれない。ここに最近はやりのボルダリング設備をつけてカラフルにしたら見た目もかわいくなるしね!
そんな風に、もう出来てしまったものを忌々しく思いながら過ごすんじゃなくて、どうすればみんなにとってよりよいものになるのかを考えていけたらなと思うんだよね。」

 

ただ楽しめばいい、そのことが出来ないのは、「楽しんでいいんだろうか」そうした気持ちがどこかにあるからか。今ここに足りていないのは、どうやったら楽しめるかを考えることではないかとふと思う。

 

復興の拠点となったJヴィレッジで「福島は課題を詰め込んだ場所」

 

お昼時になり、昼食を取りにJヴィレッジへと向かう。

皆さんはここを、サッカーの合宿拠点として記憶しているか、それとも復興の拠点として、かつての映像とともに記憶しているだろうか。

ここJヴィレッジは、1997年にオープンした日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターで、福島県の楢葉町と広野町にまたがる約50ヘクタールの敷地内にグラウンド12面(当時)や屋根付き練習場、宿泊施設を備えた立派な施設だ。20年のオリンピックの代表前合宿地にも決定している。東京電力が福島第1原発の増設計画に伴い、福島県に寄贈したという歴史もあり、震災当時は、福島原発の除染作業などの拠点として、作業員が出発前に集まる場所などとして使用された。

 

写真は2015/09/07時点でのもの。今はすっかり復興のシンボルとしてお年寄りやお子さんが集う施設だ。

 

その後この施設は、2016年11月に完全に東電の原発対応の拠点としての役目を終え、サッカーの拠点から、震災復興の拠点という新たな看板を抱え、福島の復興を象徴する施設として今もそこにある。サッカー場だけでなく、ゲートボールも楽しめ、地元のお年寄りが元気にスポーツを楽しんでいた。

 

私たちがここに来たのは、2011年9月にJヴィレッジでの営業を再開した、日本代表の食事作りも担当する西シェフの料理をいただくためだ。

あいにくその日は外に出られていたが、今でも代表合宿などがない時期はほとんど毎日、ここで料理をふるまっているという。本格的なすいとん定食は地元でとれた魚のお刺身含め、絶品だった。

 

絶品のすいとん定食

食後の会話の中で、吉川さんは言った。

「ここ福島は、今全国で解決しなければいけないって言われてる問題のすべてを詰め込んだような場所だからね。色んな課題が複雑に結びついてて、少し研究したり触ったくらいじゃ解決は難しい。」

今でも、福島に研究で訪れるチームなどはいるが、そこに居住したり、長年滞在しようとする人は少ない。
この地域に本気で向き合おうとする人が果たしてどのくらいいるだろうか。

 

複合施設に月極ホテル「何気ない景色から感じ取る異変と危機感」

広野町に入ってからというもの、ホテルがよく目に入る。しかし、おそらく昔モーテルだったのであろうそのホテルには「作業員歓迎」「作業員専用」「作業員宿」などの文字がある。震災当時、福島原発に県外からきて作業をされる方が急激に増え、急務で作業員の方たちのための宿を作れなかったため、すでにあったモーテルが作業員のための宿として使用されたのだ。

そのモーテルを使っても数は足りなかったのだろう、中には月極を掲げるモーテルもあった。

今では宿舎もできてきてはいるが、決してクオリティの高い宿舎ばかりとは言えず、作業員の方たちは満足のいかない環境の中での作業を強いられているという。

 

こうした原子力発電所関係の作業員の方が泊まる宿が並ぶ

 

やがて訪れた「さくらモールとみおか」で、吉川さんが宿題を出した。

「この施設の特徴をひとつ見つけてください」

宿題の答えを見つけるべく、店内を探り、答えらしきものを持ち帰ってきた一同。

「即席品が多かった」

「従業員の中には、福島県外から来てる人も多かった」

答えは近からず遠からず、この施設を利用している人の多くが作業員の方たちで、地元の方が少ない、ということだった。

今この楢葉町や富岡町では、こうした「復興」をうたった施設が出来てきてはいるが、そもそもここの地域の住民の大部分は今となっては原発の廃炉、震災復興事業に携わる作業員だ。原発作業員だ。男性が単身赴任でここに来るので、コンビニでことは足り、コンビニばかりが増えてしまっている。こうして施設が出来ても、あるもので満足してしまう消費者にとって、「あってよりよいもの」の需要はなく、結局は使う人がおらず施設は箱物化していくのが現状だ。

 

原発作業員の方が多くいる今の現状と、それにそぐわない復興のかたち。根本的な課題である人がいないということ。吉川さんはこの旅を通してずっとおっしゃっていた。

「ここ福島に私が住んでいることが、住み続けていることが、ここ福島が安全であるということの証明になればいい。ほら、こんなにピンピンしている。」

 

港ほど近い原発「日常のこんな近くにあったんですよ、原発が」

 

日の入りも近づいてきたころ、浪江町請戸漁港に向かった。そこで吉川さんが指さす先には、福島第一原子力発電所の姿があった。

 

「ほらあそこを見てください、あそこに光ってるのが原発ですよ」

双葉郡浪江町請戸漁港から見た福島第一原子力発電所

 

白く点滅する光。今は使われていない港に残る船。ここでは震災前は漁業がさかんに行われていたのだという。つまり、生活の拠点の程近くに原発があり、そこに住む人たちにとって、「原発」は生活の風景の一部だったのだ。

皆さんには想像が出来るだろうか。生活の一部だったものが、自分の生活を脅かす脅威として存在することの怖さを。私には到底想像に及ばなかったが、それでもその言いようのない怖さに背筋の冷える想いがした。

 

 

立ち入り禁止区域を目の前にして「ここでお祭りをやったんです」

次に車で向かった先は、富岡町にある夜の森公園だ。

今年平成29年4月16日の桜の様子

 


春は桜で満開になるここは、震災前は多くの人で賑わった。しかし今は、ここのすぐそばから今も立ち入るとのできない立ち入り禁止区域がある。
立ち入り禁止区域と、そうでなくなった区域のはざまにあるこの桜並木は静かで、すでに立ち入りが許されている家々のガラスは割れたまま。人のいる気配はない。

ここでは、周囲の反対もあったものの、今年の4月、ここで震災後初となる「夜の森公園桜まつり」を開催した。桜の名所を求めて、たくさんの人がここに集った。
ここは帰ってきていい場所で、楽しんでいい場所で、ここに住んでいる人はいる。それだけを伝えるために、どんな反対も説得して開催までこぎつけたのだという。

平成29年4月16日の夜にライトアップされる夜の森公園

 

すぐ横に広がる帰還困難区域。

写真は今年の4月16日時点での様子。

 

まるでそこに、何か化け物でもいるかのように立ちすくむ足。見た目は何も変わらない、草のお生い茂る向こう側と、こちら側がきれいに隔てられている。そのなんともいえない違和感に戸惑う。

除染は技術的に可能ではあるものの、コストの面でまだ完全除染をすることが出来ていない立ち入り禁止区域。何度も何度も徹底して除染を行うため、一気にすべてやってしまうことは出来ない。

きっとここはこれから立ち入り禁止区域じゃ無くなる日が来る。でも、そこに人が入り、当然のように住み始める日はいつだろうか。立ち入り禁止区域じゃなくなることが、除染の終わりではなく、人々のイメージが拭い去れた時が原発の除染の終わりではないだろうか。

 

広がる稲穂とスイカ畑「やれるってことを見せたら後に人が続くかなって」

 

吉川さんが連れてくれていった場所には、稲穂があり、スイカ畑があった。

立ち入り禁止区域でもなくなり、自由に田畑を作ってよいとなっても、そこで田畑を作ろうとする人は少ない。なぜなら、長期避難が避難先での生活の安定を生み、戻ることが生活の不安定に繋がると考える人も多いからだ。人があまり戻ってこないその場所には、未だ汚染廃棄物がものものしい黒い袋としておかれれている。

吉川さんはそこに、田んぼを作ったり、スイカ畑を作るのをお手伝いしたり、そしてみんなで宿泊して集まれる民家を友人とともに借りたりしている。この田んぼでは、今年の10月に稲刈りを行う。誰でもが楢葉町に来て、ここで楽しんで安心して帰れるように。

 

そして自分の姿に続いて、楢葉町を楽しくする人が現れるように願って、今日も悩みながらら、それでも試行錯誤して楽しんでいるのだ。

こうして、福島での1日も夜が更けた。

「原発」「放射線」というイメージが先行する福島には、山があって海があって駄菓子屋があってお年寄りが集う場所があって、子どもが遊ぶ公園があった。
そこには確かに、人が住んでいて、その息遣いが聞こえた。
福島は「フクシマ」でもなく「Fukushima」でもなく、誰かの住む場所であり、誰かの帰る場所だということを肌で感じることが、現地に行くことの意味だと感じた。

 

では、福島とは切っても切り離せない原発は、今どうなっていて、誰が何をしているのか。

第二弾では、この夜、経済産業省エネ科の木野 正登 対策官も交えて行った原発談義の様子をお伝えする。

こうご期待!

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