【東北3県取材第三弾】「陸前高田・気仙沼」 の今を知る。-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-

先に行われた2017衆議院議員選挙。選挙で一時的に注目された争点が、選挙の結果からどうなっていくことが決まり、実際にどうなっていっているのか。
選挙時は頭をひねって関心を持っても、その後を知る人は、意外と少ないのではないでしょうか。
今回、SeiZeeはalleyとしてこの2ヶ月間、選挙で争点になったこと、そして大事なのに語られなかった争点も含め、約10の争点の「選挙後の未来」と「現場の声」を可視化します。
選挙で注目された争点には、どのような議論があり、選挙でどういう決定が下されたことになり、今後どう進んでいくのか、を解説記事と現場のインタビュー記事からお届けするこの企画、「シリーズ-2017衆院選後の未来-」。初回となる今回は、争点①東北震災復興をお届けしています。解説記事はこちらから。

セットとなる現場インタビューでは、岩手・宮城・福島の3県に実際に行った今の東北をレポート。レポートは、4部構成にわかれており、第一弾は1日目、福島の現在に迫った。そして第二弾は、経産省木野対策官をお招きしての原発談義をレポート。今回の第三弾は、3日目の陸前高田・石巻・仙台の現在に迫る。過去のレポート記事は以下のリンクからどうぞ。
【東北3県取材第一弾】福島の今を知る。-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-
【東北3県取材第二弾】「福島原子力発電所」の今を知る。-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-

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今回の取材は、Global Shapersの皆さんにご縁をいただいて同行させていただいたものだ。
この旅に登場するシェイパーさんたちは前回記事をご参照頂きたい。

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田舎で原体験を。MORIUMIUSは教育の先端を行く。

MORIUMIUSは古い学校を使って作られている。

一行は、宮城県石巻市にあるモリウミアスへ。MORIUMIUS(モリウミアス)は、こどもの複合体験施設で、雄勝の豊かな森と海と里の中で、自然とともに生きる暮らしを体験出来る。ここMORIUMIUSのフィールドディレクターを務める、油井元太郎さんに施設を案内していただき、お話を伺った。

●油井元太郎(Gentaro Yui)

1975年東京生まれ。幼少からアメリカで生活。ペンシルバニア州レバノンバレー大学音楽学部 卒業後、ニューヨークで音楽の仕事や日本テレビ関係の業務に。退社後2004年9月にキッザニアを日本に導入する株式会社キッズシティージャパンの設立に関わる。2006年10月キッザニア東京を開業。ライフワークとしてこどもの教育や食文化発展、生産者支援、自然環境保全などに取り組む。

庭にはヤギがおり、触れ合える。写真はヤギが草を食べている様子。


ここでは、全国各地から長期の休みになるとこどもたちが訪れ、自然を楽しんで帰っていく。留学生もインターンとして積極的に受け入れており、アーティストがワークショップを行ったりもする。庭にはヤギがいて、ブタがいて、ニワトリがいて。子どもたちはそうした普段とは「異なる」場所で、普段とは「異なる」多様な人たちと動物と暮らす。そうやって動物的な感覚が研ぎ澄まされることで原体験を得る。油井さん自身が子ども向け職業体験施設キッザニアでの経験から、より幅の広く基本的な感覚を体感できるような施設を作りたいと考えたのだという。

ニワトリと触れあう子どもたち。

こうした田舎経験による刺激は、地頭をよくするのによいとされ、今では教育の観点から大きな注目を集めている。来る子供も、東京方面の教育熱心な親から連れてこられる子が多いのだそうだ。さらにここでは隣接する施設で親御さんも泊まれるようになっており、家族で来て、子どもを日中プログラムにあずけ、親は大自然でしばしの休息をとる。そんな家族の休暇の形もできている。

MORIUMIUSの中には、かつて学校だったころの柱や黒板などの多くが残されている。

注目すべきはそのプログラムの中身だけではない。この施設が地域の自立を促しており、そして持続に重きを置いているということだ。施設は昔の廃校を使った。かつては地域の住民の憩いの場となっていた場所だ。そして未完成なほうが面白い、という油井さんの想いから、MORIUMIUSはまだ完成していない。

地域が変わっていくことは簡単ではないが、続けていけば変化はある、そう思い油井さんは淡々とMORIUMIUSを今日も作り上げていく。

右前方が油井元太郎さん。

油井さんに感謝を告げ、子どもたちと一緒にニワトリを見たり留学生とお話したりしたのち、私たちは2日目の宿泊場所である、陸前高田の箱根山テラスに向かった。


ここ、箱根山テラスは2014年秋「木と人をいかす」をテーマに陸前高田にオープンした宿泊・滞在施設で、文字通りテラスからの眺めは最高だ。


さて、時は夜に移る。シェイパーズたちは、お酒を飲みながらテラスで今回の旅について談義。話題は、あの日、どこで何してた?

夜談義3.11 「 あの時何してた?」

「震災直後に、ご遺体を毎日見ていた。もっとスーパーチーム的に復興にみんなが向き合えていたら」

西川「実は俺あのときインドにいてね。インドで、自分の周りの人は日本人が来てるって知ってたから、すぐにBBC見せてくれて、それを見て初めて知って日本に飛んで帰ったんだよ。家族の無事もわからなかったから家族全員の無事を確かめてから、現地に3週間くらい行った。俺登山やるから、登山やる人はそういう災害時に現場に行けっていうのがあって。それで毎日ご遺体を見てた。避難場所の大きい体育館があって、治安室と避難場所が一緒で、体温とご遺体の匂いがするのね。モンベルのシュラフにご遺体を詰めていって。

それと並行して救助をしながら、奥地の家の中でご飯なしで過ごしている人たちの家を訪れて、家から出してみたいなことをしてたね。

東輝「では震災直後の現地の様子を肌で感じられたんですね。現地の避難所やその周りの様子はどんなものだったんですか。

西川「日がたつとだんだんとボランティアに行こうみたいな空気が出来てきて、たくさんの人が現地に来るようになった。ボランティアの人も「行ったからには現場を見よう」みたいな空気があって。ただ当時は、車を使うためのガソリンも限られてて、そこでの人たちも精神状態が錯乱してたから現地では強盗もレイプもしょっちゅう起きてたわけで、移動も困難だし、治安もそんなに良くなかったのよ。ボランティアの人が被害にあったらそもそもボランティアが来てくれなくなるからってことで、車を出したいんだけど、道はもう震災前とはかなり変わってしまっているから実際に即したマップがなくて迷っちゃって。だから、マップを作るところから始めたりしてた。

ーでは、西川さんはずっと救助とかをされていたんですか。

西川「救助だけじゃなくて、避難所の整備みたいなこともやってたね。避難所では、全国から寝袋があつまりすぎちゃって、ど真ん中に積まれてて見通しが悪かったから、肝心の生活必需品であるトイレットペーパーがどこにあるかわからなくて、みんなで探し回ってボランティア同士が喧嘩するとか、結構混乱してて。僕自身がそれより前に工場に働いてたことがあったから、工場の物資の固め方っていうのはまずみんなが見えるように置くことから始まります、というのを知ってたのね。だからまず初日に伺ったときに真ん中に積まれてた消耗品じゃないものは周囲に配置して、消費財を真ん中にして、それらの数字をカウントしましょう、と言って、管理を始めたんだよ。そうやって、限られた車でどう効率よく人を運ぶかとか、どう物資をわけたりするのかを考えてやってた。

東輝「当時は、学生ですか?社会人ですか?

西川「当時はちょうど社会人になる前の3月で。本当はそこにあと1ヶ月はとどまっていたかったけど、内定先からさすがにお許しが出なくて、4月には入社式だった。しかも、入社したあとの仕事では、SONY全体の震災喪失金額を出すってことをやってた。たまたまそれをあてられたんだけど。現地との人の温度差とかを感じながら、半年くらいほんとに悪夢見てたし、現地に戻ったら会社辞めちゃうなと思って帰れなくて。

東輝「それだけの直後の問いに現場を見て、あの時こういうことがあったら、やってたらとか思うことありますか?

西川「あの時の経験があって、最近僕が感じるのは、今企業とかでスーパーチームみたいなやつが流行ってるじゃない。企業課題で大きな問題があったときに、採算度外視でとにかく優秀な人を一時的にチームの一員にするっていうやつね。そういうことがあの当時もっとできてよかったんじゃないかと思ってるのね。そんな限られたすごすぎる人が現地に入っていくだけじゃなくてさ。

進まないがれきの分配と、国際的な感情も関係してくる汚染水の問題

品川「僕は京都で学生してて、卒業式の数日前とかだったよね。司法試験直前だった。卒業式で写真撮ってお金もらうみたいなことをして募金活動をやったのをすごく覚えてるね。

だから、東北に来たのは今回が初めてで。」

東輝「今回が初めてだと、純粋にどう感じました?

品川「印象に残ってるのは海のすぐ近くの駄菓子屋さんのおかあさんが語ってたことだったね。あとは5.6年たってるとはいえ、復活力はすごいなと純粋に思った。

原発の話は、実際にかかわってる人の声は大きかったなと思ってる。話を聞いた感じ、数字の話はもう解決されている問題で、それよりもその反対側にいる気持ち的な問題が実は本質だったんだなと。木野さんの話を聞くと、合理的に考えたら汚染水だって名前は「汚染水」だけど人類に害は無くて、ほかの国は流しちゃってるものなら、排出してもいいんじゃないか、とか、がれきも分散して置くのがいいんじゃないかと思うけど、実際いざやるとなるとそんな簡単な問題ではないというのが難しいところだなと思った。みんなが合理的にさえ動ければこんなにも議論が進まないことはないはずなのに。

東輝「今大熊町にがれきとかを置いてたりするんですけど、実はあれをほかの県に渡すっていう交渉の動きもあったんですよ。でも、そうしたがれきとか汚染水の受け入れを仮にしたら次の選挙落ちちゃうので、どの知事もできないんですよね。誰にとっても絶対無いほうがいいものだから。そういう政治的な駆け引きは確かにありますよね。

品川「あと面白いなと思ったのは、今回僕は木野さんの話を信頼できる話だと思ったけど、たとえば政府とかメディアが言ったら本当に信頼出来るかはわからないと思うんだよね。正直なところ、木野さんとか吉川さんと実際に会って聞かなかったら今回のような話って信用できてなかったと思う。発信者として、聞き入れられる可能性がある人と、聞い入れられない人もいるなと思っていて。

西川「こんな風に僕たちみたいに直接聞けない人にも平等な情報を与えないといけないっていうのも政府の大変さだよね。」

東輝「三陸とか陸前高田はあと少しで復興が見えていたと思ったけど、福島はあと30年くらいこうした議論を続けていかなくちゃならない。ここに来て感じたのは、東京に近い福島だからこそ、これだけ多くの議論が出来ているんだということ。もし東京から離れていたら、沖縄の基地問題と同じぐらい議論がされなかったんじゃないかと思っているんですよね。ただ怖いのは、その沖縄の基地問題と全く同じように、「どこにがれきや汚染水を置くんだ」、「どこも嫌だ」みたいな議論が福島に関しても行われる可能性があることですね。

西川「これだけ恩恵受けてても、どこか感情的に受け入れたくはないってなってしまうんだもんな。

品川「さっきの情報の発信者の話とも通じるんだけど、例えば政治的なカリスマの登場があって、「あの人がそういうんだったら、受け入れてもいいかも」っていうことなら可能性があるのかなとは思う。

東輝「そうなると法律や政治の出番だとも思います。極論ですが、がれきや汚染水について平等に法律を作るとかもできるわけですし。ただ、国際的な感情の問題があって、汚染水の問題をどうするかは困難ですね。選挙があるたびに、その結果から、沖縄と福島だけ独立国家みたいになっているのが如実に分かる。地方自治と国政は統治の両輪っていうのは建前にすぎず、上下になってるマジョリティの餌食になるのは怖い。

品川「沖縄の話や廃棄物とかで重なる話もよくわかって、基地を違うところにやったら明確に危険が及ぶわけで、でも廃棄物は実害が起こるのはひとつ大きい違いだよね。

その意味では放射性廃棄物はまだ東京が近い問題だから、政治的な納得感を生み出せる可能性があると思う。

ここにいたからこそ実感したエネルギー問題に挑む

この後も、談義は続き、朝になる。箱根山テラスの朝ごはんは、現地の食材を使った優しい朝ごはんで格別だ。

地元の食材を使っていて、どれもとってもおいしい。

朝ごはんを終え、一同は箱根山テラスの2階へ。そこで、この箱根山テラスを経営されている長谷川順一(Junichi Hasegawa)さん、そして陸前高田で職員をされている大森孝典(Takanori Omori)さんにお話を伺った。

左が大森孝典さん、右が長谷川順一さん。


長谷川順一さんは、長谷川建設の4代目だが、お父さんを24の時に亡くされ、28の時に自分が建設会社のトップになった。お母さんにも支えられながら、なんとかやってきたその時のことを思うと、震災というとんでもないものを経験してもなお、なんとかなる、と思えるのだという。

長谷川さんは今、本業の建設業の傍ら、エネルギー問題にも取り組んでいる。ここ箱根山テラスには木質ペレットという素材を使ったストーブがあり、長谷川さんはその木質ペレットの普及に向けて活動しながら、ここをエネルギーについて体験し、考える場にしていきたいのだという。

震災を通して、県は違うとは言え、福島の原発事故を目の当たりにした長谷川さんは、エネルギーの新しいあり方が必要だと切に感じた。

「気づいてるのに気づかないふりは出来ないなという想いがあってね。とはいえ、儲からなくてもいいけど、赤字にはならずに永久的に回っていく施設にはなってほしいなと思いますよね。」

そんな長谷川さんはさらに、ここ陸前高田をアートの街にしたいという構想まで持ち、実際に、それに向けて着々と計画を進めている。

アート作品の前には、みんなが平等なのが一番いいところなんだよね。障害者も健常者も、外国人も、みんな。」

その中でひとつ、とても印象的なやり取りがあった。

東輝「震災前と後で行政と民間の人の距離って近くなりましたか?

長谷川「確実に近くなりましたね。行政批判をする人も最初はいたのよ。でも、忘れちゃいけないのは、行政職員も被災をしているっていう事実で。自分の奥さんや親、子どもがいなくなっちゃってるのに、それを探すこともできずに仕事をしてる人もいるわけで。それでもやっぱり行政批判をする人っているから、そういう人に対してお互いに注意しあって喧嘩になるっていうのもあったね。

この街に長く住み、地域経済の大きな支えとなりながら、行政ともお仕事をしてきた長谷川さんだからこそ言えた言葉だと思った。長谷川さんは、こうして行政や民間の人ともつながりながら、環境やアートと、陸前高田の人たちにとって「より良い暮らし」を模索し続けている。

ピーカンナッツの栽培と高級ニットを手作りする空間

その後、大森孝典(Takanori Omori)さんのご案内で、陸前高田市をご案内してもらう。
防災庁舎や、その近くにある資料館で、当時の様子や、今の陸前高田の復興の様子を聞く。

大森さんのお話を熱心に聞く一同

津波の被害を受けた陸前高田では、かさ上げのため、山の土を大幅に切り崩し、ベルトコンベアで運ぶ大規模な工事が行われたという。
大森さんのご案内でしか入れないエリアに特別に入れて頂き、工事の跡を上から見渡す。

今はまだ、建物が立っていないが、これからいろいろな建物が立つ予定だという。

また、ここでシェイパーの一人である西川翔陽さんが陸前高田市とチョコレートの老舗、「サロンドロワイヤル」をつなぎ、ここ陸前高田でピーカンナッツの栽培が始まるのだという。これらは、「サロンドロワイヤル」で販売されているピーカンナッツチョコレートの原料になる予定だ。

上から見えるピーカンナッツ栽培予定地

陸前高田を一通り案内していただいたのちは、陸前高田でとれた大きなホタテなどを使ってバーベキューだ。

とっても大きなホタテ。中のお汁をこぼさずに裏返すのが至難の業だ。

大林さんご夫妻に加え、一般社団法人SAVE TAKATAの代表理事である佐々木 信秋(Nobuaki Sasaki)さんがご到着。

今の陸前高田の様子や、これからの陸前高田の未来について話を伺いながら、それぞれに話をする。バーベキューの後は急ぎお礼を告げ、気仙沼へ。
気仙沼での目的地は気仙沼ニッティングである。GlobalShapersCommunity東京ハブのメンバーでもある御手洗瑞子さんが立ち上げたお店だ。

店内には商品のほかに、机も置いてあり、時にはここで編み物をしてらっしゃる人がいる。

残念ながら御手洗さんはいらっしゃらなかったが、一度でも訪れたかった一行はそこに流れるほれぼれするほど静かで、暖かく、それでいて凛とした空気に触れ、思い思いの時間を過ごす。

こうして、短いようで長かった東北の3日間は終わった。

この度で、シェイパーの皆さんは何を感じ、この旅の意味をどう捉えたのか。旅の帰り、仙台駅までの車中で、シェイパーの皆さんのこれからの東北のかかわり、そしてこの旅の意味についての話題が生まれた。

気になるそのお話の内容は、最後となる第四弾でお送りする。

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-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-の過去記事はこちら

-シリーズ2017衆院選後の未来-争点①東日本震災復興
【東北3県取材第一弾】福島の今を知る。-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-

【東北3県取材第二弾】「福島原子力発電所」の今を知る。-シリーズ2017衆院選後の未来①東日本震災復興-

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