祖母と戦争、私と歴史の距離

田舎暮らしでのんびりした生活に、ちょっと火薬が降ってくる「日常」が、
ばあちゃんの過ごした1945年だった。

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中学の頃、戦争を生で経験した人へのインタビューで私が知った「戦争」はあまりにも「のどか」。

戦争っていうと、
火垂るの墓に象徴されるような痛ましい「悲劇」だったり、
日中戦争中の公開処刑や残虐行為などの「罪」、
はたまた、「あの歴史的瞬間に政治家たちは何を」みたいな「ドラマ」なんかを目にすることはあるけれど、
結局そのどれもに言えるのが、基本的に「非日常」なんだってこと。

だから私も、「戦争の話を聞け」って宿題を出された時は、
身近な祖母からでも何かしらドラマチックなことが聞けるんじゃないかって正直期待してた。

ところがどっこい、祖母の見た戦争には腕のもげたご近所さんもいなければ、飢えた経験だってなかった。

考えてみれば空襲一つとっても、
727万人の内11万人が亡くなり、77万軒が燃え落ちた東京に比べて、
山形県ではけが人を入れても100人くらいしか被害に遭わなかったと言われているくらいだし、
元々田舎に暮し、まだ小学生だった祖母にとって戦争時代は、
ちょっと焼夷弾が落ちてきて友達と遊び難い、くらいのものでしかなかったみたい。
むしろ、兄弟が幹部候補生として、近所の映画館で日本軍のCMに起用されたことを誇らしげに話していて、
私は聞きながら「なんだ、戦争って大したことないこともあるのか」くらいに感じてた。

今になって、祖母の「穏やかな戦争時代」の話を思い出す。
あれは、戦争がしょぼいということではなくて、
「戦争のない日常」と「戦争のある日常」、そして「戦争が起きそうな日常」が
それだけ近いんだってことを意味していたんだ。

私達は「歴史から学ぶ」とき、ついつい濃い部分、
原爆投下などの大事件や玉音放送など象徴的なイベントに目を向けがちだけれど、
それで私達はどうしたら良いかってことまで学べているとは思えない。

だって、どんな大事件も、実際はごくごく一時的で局所的なものだから、
戦争の悲惨な攻撃やずさんな外交について話を聞いたところで
自分たちではエノラ・ゲイの飛行位置を決めたり、北朝鮮で交渉をしたりすることはできない。

私達が知る必要があるのはむしろ、歴史の「淡い部分」、
つまりどの時代でも同じように営まれてきた日常の中で、
お偉いさんが戦争を決断していくのに対して、
政治家以外が何を思いどう振る舞い、なぜ受け入れてしまったのかじゃないかな。

「こんな歴史はもう嫌だ」と思う事と、
「嫌な歴史を繰り返さないために、一人一人がどうあるべきか」の答えを出すことは、似ているけれどまったく違う。
私達は一番悲惨な時の「痛い、辛い、悲しい」を知ることで、
「この歴史を繰り返すまい」と思う機会は沢山与えられていると思う。

でも、その歴史を生んだ戦争と日常のつなぎ目について考え、
一人一人が同じことをしないためにどういう風に過ごす事なのかを見つける機会は、
今の政治家も、周りの知り合いを見ていても、あんまり足りていないみたいだ。

 

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。
いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

伊丹万作「戦争責任者の問題」

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Y【文化, 社会もしかすると政治・法】

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