京都観光と合コンの話

「人生は小さな決断の積み重ねである。」というのが僕の持論です。

例えばの話をしましょう。

友達と秋の京都観光に行くお誘いと、合コンのお誘いが重なったとすると、あなたはどちらを選択しますか?

前者では、京都の紅葉の美しさに感動するという体験を得られます。
後者では、素敵な女性や男性に会うという体験が得られます。
そしてその体験によって、美こそ至高のものだという価値観を得るか、自分はこういうような異性がタイプだったのかという価値観を得るかが違ってきます。
そこで得た価値観が次の決断に結びつき、前者の選択をした人は写真家に、後者の選択をした人は、合コンで出会った素敵な異性と結婚できる、みたいなことが起こるかもしれません。
つまり、決断の先に体験があり、その体験が人生を作っていくということです。

ここで大事なのは、どちらかの決断を下すとき、実はあなたの人生は片方の選択肢を切り捨てた人生になるということです。
今いる場所は、他のいくつもの選択肢を切り捨てた結果立っている場所です。
その場所で楽しんでいる人もいれば、釈然としない気持ちで立っている人もいるはずです。
楽しんでいる人は、計画して切り捨ててきたか、あるいは何となく切り捨ててきたが問題のなかった人と思われます。
そして、釈然としない人の多くは、切り捨ててきたことを自覚していなかった人ではないかと思うのです。

そこで、僕が提唱するのは次のような考え方です。
「人生を楽しむためには、切り捨てるものを自覚することが必要条件である。」
そして、「切り捨てるものを自覚する姿勢」を僕は「主体性」だと定義します。

僕が問いたいことは、主体的に生きていますか?ということです。
今までの人生で様々な選択をして生きてきたと思います。しかし、その選択は本当に主体的なものだったでしょうか。
親に言われて、友達がそうするから、みんながそうするから….
そういった理由で多くの決断をしてきた人が多いのではないでしょうか。
しかし、その先に辿り着いた場所で楽しんでいますか?
あるいは、これから先辿り着くであろう場所で本当に楽しめますか?

この「主体性」を持つべきだという考え方は、現在キャリア教育が重要だとする風潮に現れています。
縮小していく日本の人口、それに伴う経済の縮小、変化する社会とビジネスのあり方。
これらを背景に、人々の生き方もより多様化せざるを得ない状況になっています。
そこで、何を選択し、何を切り捨てるのかに責任を持つという姿勢が、これから先の時代を生きていく上で重要だと考えられているのです。
しかし、現状の日本の教育システムでは、決断を自分で下すという姿勢が養われづらいと言われています。
与えられる問題をただ解いていく数学の授業や、歴史上の出来事の年号だけをただインプットする歴史の授業などでは、主体的に決断する力は培われません。
このような状況を背景として、キャリア教育の必要性がこれからますます叫ばれていくことになるでしょう。

ともかく、あなたはこれから先何を選んで何を切り捨てていくのでしょうか?
もちろん答えは簡単には出ません。でも、考え続けることが大事であることは間違いありません。

ちなみに、僕なら合コンを選択しますね。

弥富 文次

弥富 文次【文化、教育】

投稿者の過去記事

最近髪を短く切って以来色々な人に22歳に見えないと言われるのが辛い。最近まじで老けてるって言われまくるということを話すと、決まってそれは老成しているっていう意味だよというフォローをもらうのも辛い。というわけで、老成した記事を書けたらなと思います。

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