ちょっとだけ日本の伝統と「女性天皇」論

26日、自民党の二階幹事長が「女性天皇」を認める考えを示したということがニュースになりました。(こちらなど)

 

「女性尊重の時代で、天皇陛下だけはそうならないというのはおかしい。時代遅れだ」「諸外国でもトップが女性である国がいくつかある。日本にもそういうことがあったらよい」というように語ったと広く報じられています。

 

憲法に示されている通り、天皇は日本国の「象徴」であって、神話の時代とも重なるとはいえ2000年以上も前から脈々と代々受け継がれてきたとされている、単なる「伝統」という以上の重みがあるものです。皇室の先祖を遡っていくことで神話との境界までたどり着けるというのは、他の国ではほとんどないことだとも言われています。

つまり、天皇のあり方を考えることは、日本の歴史の大動脈を考えることに直結すると言っても過言ではない、ということです。
多少政治思想的な面が関わる問題であることを考慮しても、この前提に関しては同意して下さる人のほうが多いのではないでしょうか。

簡単にいえば、冷静に、過去を見つめながら天皇のあり方を考えることが重要だということです。

 

ところで、少し勉強した人なら、「推古天皇」や「斉明天皇」というワードに見覚えがあるかもしれません。

ご存知の通り、今は男性の天皇しか認められていませんが、歴史上にはこうした推古天皇などの女性天皇がいたことは知られています。しかし、そうした女性天皇も、厳密で一貫性のあるルールの中で定められてきたものであり、「祖先に天皇がいれば誰でも天皇になれる資格がある」ということではありませんでした。では、天皇の系統はどのようなルールにもとづいているのでしょうか?

 

女性天皇=女系天皇ではない!

まず、天皇の皇位継承について語る上で最も重要なのは「男系天皇」と「女系天皇」の違いです。

2000年以上も続いてきた天皇制のこれからを語る上では、まず今までのシステムを知らないことには話が始まりませんから、少し解説してみます。

「男系天皇」とは、簡単にいえば父親が天皇であるか、父親の父親、その父親と系譜を遡っていった時に男性の天皇に行き着く天皇のことを指します。ここでは、それを最終的に引き継ぐ天皇の性別は関係ありません。つまり、「男系」の「女性天皇」は存在しえます。現に、今まで歴史上に女性天皇が存在した例はすべてこの「男系」の「女性天皇」でした。そして、皇室はこれまで一貫して「万世一系」の男系による家系で皇位継承を行ってきたとされています。

では、「女系天皇」とは何でしょうか。これは、自分の母方のみが天皇の血筋を引いている場合で、男系天皇の反対です。この場合も、「女系」の「男性天皇」、「女性天皇」の両方が存在することになります。こういう状況になる時は、女系天皇となる天皇の父親は皇統ではなく民間から皇室に入る男性ということになると思われます。スライド1

また過去にあった女性の天皇の例に準ずると、この女性天皇の夫が天皇ではなく、夫の父親を遡っても天皇に行き着かない場合、その子孫が天皇となれば「女系天皇」となり、こうした例は未だないとされています。つまり、男系の女性天皇は、普通その子供が天皇になることはなく、あくまでピンチヒッターのような役割だったということができます。スライド2

ちなみに、明治時代に定められ、それを継承して現在の日本でも適用されている皇室典範では、「男系」の「男子」が皇位を継承することが定められています。

 

女系天皇はダメ?女性天皇もダメ?

先の二階氏の例のように「女性天皇」をそのまま男女平等参画の文脈と同じように論じた場合なら、男系の女性天皇だけでなく、女系の女性天皇も認められていると考えるのが普通でしょう。過去の系譜から見れば、もし皇室典範を改正して男系の「女性天皇」を認めたとしても、その女性天皇と民間の男性の間に生まれた子供は(女「系」天皇となり)天皇になれないというルールがあることから、女「系」天皇を認めない場合は少し複雑なシステムになってしまうとも言えます。

今までも皇位継承の資格がある人が少なすぎるなどの理由から、天皇となれる資格を広げる方向で皇位継承制度について議論するということは行われてきました。しかし、2006年に悠仁親王がお生まれになったことで、近い将来皇位を継承する人が誰も居ないという事態が少し遠のいたために、こうした皇位継承の議論は下火になっているところでした。しかし、現在も「男系」の「男子」は悠仁親王一人しかいませんので、今後も女性天皇、女系天皇の議論は問題となってくることでしょう。

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「伝統」を想うこと

「伝統」というものは、それが引き継がれてきた時代がながければ長いほど、重視すべきであるといえます。その伝統が引き継がれるにはそれなりの理由や、理念や、引き継いできた人の思いがあると考えるのが妥当でしょう。特に、天皇制については、明治時代に皇室典範が定められるずっと以前、2000年以上も前から、(大小の議論こそあれ)一定のルールに従って守られてきたものです。国民の親近感や社会通念は時代により変化するが、伝統が維持されることは、それ自体が時代によって変化しないという点でより重要である、とする意見もあります。もし、「時代遅れ」という感覚をこうした伝統の全てに当てはめ、悪としていくのであれば、例えば科学技術の進歩による過度な膨張を倫理や道徳の面から抑えるのは難しいでしょうし、グローバル世界の今、他の国と違う政策をとるということの全てが時代遅れとなってしまうでしょう。誰もが認める程度の長い間続いてきた文脈であれば、それは決して「時代遅れ」などという言葉ではなく、過去と未来に繋がる歴史の中に正当な理由を見つけ出していくことによってこそ検討されるべきものではないでしょうか。

ここまで書いてきてこう言うことも憚られますが、この記事は全く専門家ではない、いちライターによる文章ですので、語の定義や論理展開の誤りなどもあるかと思います。とりあえず、こういう問題があり、様々な議論があるということを知ったうえで、もっと知りたいと思ってくれる人が一人でも生まれたならば嬉しいです。

 

poncirus

投稿者の過去記事

京都大学法学部在籍。特定の思想を啓蒙するとかではなく、分野をまたいだ色々な見方で物事を捉えられるようにと思っています。

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