あなたが「できなかった」ことは?

 

皆さんにとって、とても印象に残っている言葉はあるだろうか?それは、誰から貰った、どんな言葉だろう?どうして、心に響いたのだろう?

今日は、私がとても尊敬している人生の先輩(以下、簡略化のため「師匠」と記載する。)から頂いた、今でも役に立っているひとつの問いを紹介したいと思う。

 

Then, what were the worst things?

それで、一番できなかったことはなんだったの?

 

10ヶ月ほど前のこと。毎週末、1週間分の自身の活動の在り様を振り返り、スカイプで師匠に報告をする習慣があった。その頃の私は、よく、「今週私ができたこと」を、なるべく多く、並べ立てる癖があった。自分が大好きなひとには、なんとか認められたい・かわいがってもらいたいという、甘えからだ。いつもの調子で「◯◯ができた」「◯◯がよかった」「あと、それから・・・」できたことの報告を、あれもこれもと並べ立てる。そんなとき、師匠は、あるタイミングで、決まって以下の質問を投げかける。

 

「What were the worst things, Yumi? I am curious about that, too!」

「じゃあ、一番ダメだったことは何だった、侑未?そっちの方も興味あるなあ!」

 

優しく、明るく問いかけられるこの質問は、私を、いつも我に返らせる。

私の師匠は、アメリカ人、71歳、スキンヘッドの、おじいちゃん。彼の話はいずれSeizeeでも詳しくしたいと思うが、一言でいうなれば、物事と物事の矛盾の狭間で飽く無き探求を続ける、Leader of Life-Long Inquiry (生涯探求のリーダー)だ。彼を「リーダー」だと人が認識するとき、その人の中で、「リーダー」という言葉の定義がひとつ、大きく広がっているはずだ。

生涯探求のリーダーは、「これが正解だ」という境地に長く居座る事を好まない。つまり、問いが生まれない会話や空間を、つまらないと感じる。そんな彼のことを知っていながら、毎回思わず”ただの報告”を並べ立てている自分に気づき、あぁ、またやってしまった、と我に返る、そんな事が少しの間続いた。

 

それからしばらく経ったいま現在、「自分と、大好きな人」との間の会話の在り様をふと振返る。毎週平日に会う仕事場の先輩との会話、土日に会うプロジェクトの仲間との会話、先週終電を逃してお家に転がりこませてもらった親友との会話、最近始まった大学院の先生と同期との会話、そして、家族(父・母・兄)との会話。ああ、そういえば、先週も行った師匠とのスカイプも。どれを振返っても、「私、こんなことができなかった」「こんなことが、わからない」から、会話が始まっている。そして、「こうしてみたのだけれど、うまくいかなくて、どうしたらいいかな?」という問いの後に得られたものが、とっても自分の日々の力になっている。それは、彼(女)等の有難いアドバイスだけではない。私の問いを、その瞬間だけでも共有し、一緒に探求してくれたという充実感が、実は何倍も、私に力をくれている。

 

皆さんにとって、「今週実は、こんなことができなかったんだ」を分かち合える人がいるとしたら、誰だろうか。家族だろうか?親友、それとも同期?

こうして「worst things」の共有が少しずつできるようになってきたいま、もう一度、10ヶ月前の自分を振返る。あの時はなんだか、「これができて、あれができて・・・」そういったことをちゃんと毎週覚えていて、ちゃんと示して、やればできる人間だと思ってもらわないと、師匠から次のスカイプの時間をとってもらえなくなってしまうかもしれない、そんな思いでいた。彼は著名で、私は無名で、彼は忙しいし、アメリカに居るし、そこからはるか遠く離れた国に居る、未熟すぎる(当時は)大学生に使う時間なんて、どれだけ優先順位の低いことだろう・・・そんなことを想像して、前のめりになっていた。

 

皆さんは、大好きな人と、どういった会話をされているだろうか。

例えば大好きな恋人と(ご結婚されている方は旦那さん/奥さんと)の間で、どの様な会話が典型的だろうか。たとえば、考えたこと思ったことの報告や断定的な発言など、「マル」で終わる発言が多いか?または、考えたことに対して意見を聞いたり、同じテーマについて共に探求をするような、「ハテナ」で終わる発言が多いか?

まあ、そんなことを問いかけながら、私もまだまだ、マルばかり並べ立てしまって、しばらくしてふと我に返る、といった事が、(繰り返すが)まだまだよくあるのだけれども。幸運だったのは、「できないこと」「わからないこと」に対して、好きな人の前で降参すること、オープンに問う事を、促してくれた人が居たことだ。しかも優しく、明るく、「興味がある」と言って聞いてくれた。そこには、「一緒に考えてみようよ(そのために、私がいるのだから)」というような、ニュアンスが含まれていた。

 

最近、後輩や同期など、自分の周囲の友人に、かつての師匠と同じ様なことを言ってみることが、多くなった。最初は、みんなあまり、言いたがらない。やっぱり、できたことの方を多く語りたいというのは、私だけではないみたいだ。それでも、時間をかけてまた何度か問うてみる。そういったことを続けてみると、どうやら皆少しずつ、少しずつ、「問いの形で共有すること」への抵抗が、無くなってきているように私には見える。人前で降参することの、恥ずかしさも。そしてどうやら日々の中でも、探求の時間が増えているように思う。

むろん、そういった変化は必ずしもポジティブな面だけではない。探求の時間が増えれば、その分不安な状態は続くこともあるし、悩み続ける事は、疲れるし、大変だし、めんどくさい。やってみて、やっぱりこれでは生きにくいなぁと思ったら、また方向転換をするのが良いと思う。

 

そんなこんなで、保証は無いが、どうだろう。実験程度に捉えてもらうという前提で、私は、いま記事を読んで下さっている皆さんに、私がかつて師匠からもらった問いへのインビテーションを送りたい。私の友人である方は私を使ってもらって構わないし、またはそうでなくても、誰か関係性の深い人に向けて。

 

「What were the worst things in this week?」

「今週、(そうしようと試みたんだけれど)できなかったことは、何でしたか?」

世羅侑未

世羅侑未【国際、教育】

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こんにちは、世羅です。普段は「現場力を鍛える教育」の研究・開発をしています。現場力とは、変化する状況に“時計の秒針の単位で”からだを呼応させる、一種の高度な集中力のことです。SeiZeeでは、例えば海の向こうで吹いた風が、読者の背中に届くよう、生きた記事配信を目指していきます。

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