「観る」とは何か

突然ですが、たったいま、みなさんの視界には、何がみえていますか。

 

パソコンですか?

スマ—トフォンですか?

机はありますか?何色ですか?

机の上にものがありますか?大切なものですか?

周りにひとがいますか?どんな表情をしていますか?

 

ひとつ、お願いをしてみてもよいでしょうか。

1分間、いま皆さんの目にうつるもの(ひと)や空間を、

「もっと」みつめてみることはできますか?

いかがでしょう?

何か少し、みえかたが変わった、という方? 変わらなかった、という方? どちらでも、構いません。ぼーーっとただ見つめ、言葉も思考も起こらなかった方がいるかもしれません。「「もっと」って何?え、よく、わからない・・・」と、ザワザワした1分間を送っていたひともいらっしゃるかもしれません。

実験をして頂き、ありがとうございます。

 

「観る」という行為は、とても豊かな行為だと私は思います。

わたしのまえには、焦げ茶色で木製の、ちょうどいまこの記事執筆のタイピングがとてもしやすい高さに設計された机があります。表面はなめらかで、これなら木も刺さらず優しい手触りです。

 

こうしてみていくと、それだけで、温かい気持ちになってきます。

自分のために(人が快適に使うために)、この机にいったいいくつの工夫、調達の努力、計算の努力、創造の努力があるのだろうか。では、その努力はなぜなされたのか。そこにある、この焦げ茶色の机くんの意図(それをつくったひとの意図の集合体)が、ふわっと温かい風のように伝わってきたとき、こころもからだもより温かく、嬉しくなります。

 

机の放つ風に気付き始めると、ふとその上にある無印のA5ノート、借りたDVD、小さな蜂蜜の香りのろうそく、左端に10cmくらい積上った書類・・・ぜんぶのストーリーやそのもののもつ体温が、今度はもっと抽象的なはたらきかけをしてきます。おっとおっと。わぁ〜〜とたくさん押し寄せてきて、ぜんぶは受けとれない。けれども、なんか、ああ〜、幸せ。まるで温泉で味わう感覚のように、徐々に外から巻き込まれて、からだの内と外の境界線がわからなくなり、からだのもつ抵抗力が空間へと溶けていきます。

 

「観る」。「観ようとする」。

それだけの行為が、なんと豊かな体験なのでしょう。

 

なぜ、私がこんなことを皆さんに紹介しているのかをお話したいと思います。

拍子抜けするほど、単純な理由です。目の前に広がる同じ光景をみた時に、より豊かな受け取り方が出来る人を、とても魅力的だと感じるのです。一生懸命にものを観る。その瞬間の、その人の姿が、何にも増してセクシーで、私は思わず惹かれてしまいます。

それがどうしてか、と聞かれると、わからないのですが(笑)。より賢く、より広く、より深い洞察力にうっとり惹き込まれるうち、いつしか私自身も意識的にその力を鍛えるようになりました。そうするうちに、このたった2文字の「観る」というはたらきが、どの様な状況に置いても、極めて難しく、極めて大切な力であることがわかりました。

 

「観る」ことの重要性と難しさについて、現在私たち世界全体が抱えている問題のひとつを例に考えてみましょう。私の興味を長らく虜にしている、中東での複雑に絡み合った紛争についてみてみるとどうでしょう。まず最初に、日本で(日本語で)触れられる情報というのは、世界のメディアが扱う情報に比べて極端に少ないこと、抽象的であることを認識する必要がありそうです。悲劇の数々に包まれた、明らかにカオスな状況を、わたしたちは出来ることならあまり詳細に知りたくない、みたくない、というふうに思います。とても自然な感覚だと思います。みない、関わらない、と決める事はひとつの選択です。もしも、このような問題に対し、状況を良くするために何か取り組みたい、と思った時の話をしましょう。いったい何が起こっているのか、何故起こっているのか。地球儀を前に、紛争地域へのスコープの縮小・世界全体に広がるステークホルダー関係図への拡大を繰返ししながら、状況を様々な角度から正しく観ようとする必要があります。

では、「正しく観る」とは何でしょう。ここでは、物事を広く観る時に次の3つの観点があると仮定しましょう。

「わたし自身」の主観((ex)日本:敗戦の歴史より、戦争に対する絶対的反対視をの傾向。すぐにでもやめるべきだというスタンスだが、出来る限り直接的に関わりたくない。)

「他者(相手)」の主観((ex)IS:ムスリムが幸せになる国づくりを。戦争だ!テロだ!/(ex)トルコ:周囲の国々と極力衝突のない外交を。/(ex)シリア政権:このまま世界の注目・非難がISに集まっている間に・・・。)

客観的な事実関係((ex)武器の流れ、お金の流れ、石油の流れ、敵対/協力/権力関係)

この3ヶ月間、私の乏しいリサーチ力の範囲での主観ですが、日本のメディアがもつ情報は世界と相対的にみると①が非常に強く、③はあれどその情報量や精密さに欠け、②(特に、この場合最重要な直接的当事者たち(IS/クルド/シリア政権etc)の主観)はほぼ存在しません。一方、欧米では①と③はやたらと多く、③の感度は日本に比べればとても高いですが、闘いの敵となっている②の立場によーく寄り添った視点というのには、圧倒的に欠けています。各立場の人の戦略などが詳細に書かれた文章が、英語でよおく探すとみつかるものもあり、それ等を読んでいると彼等の巧みな長期〜短期戦略に驚くばかりか感心してしまいそうになります。私自身は、組織開発やリーダーシップ開発を仕事(&研究)としていますが、この分野の数々の理論の指摘する重要なポイントを巧みに押さえていたりします。(それがどこまで実際に実行されているかはわかりませんが。)  一般人が知って、どうする、何か出来ることがあるのか、という問いにまだ上手く答えることは出来ません。ですが、この問題について深く洞察・考察する際に、この①〜③の視点全てを自分がみることができているか、を問うことは間違いなく大切だと思っています。

 

ほんの一例を挙げさせて頂きましたが、世の中にはまだまだ、もっと「観られる」べきであるもの・ことがたくさんあると思います。単に文字として知る、ではなくて、人間のもつ五感をぜんぶ開いて「観る」べきものが、たくさんあります。ポジティブなもの、ネガティブなものも含めて。なぜなら、それによって、まず行動の選択肢が変わり、選択の判断軸が変わるからです。社会や組織の問題解決や、そのためのリーダーシップにおいて、「どのような行動をすべきか」の戦略論が先に扱われることが、まだ多くあります。私は、それよりも先に「まず、広く深く観る努力をすること」に時間、力、人や情報など全てのリソースをつぎ込む必要があると考えます。

もっともっと「観る」ために、いま私たちひとりひとりに、どのような努力が出来るでしょうか?

 

世羅侑未

世羅侑未【国際、教育】

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こんにちは、世羅です。普段は「現場力を鍛える教育」の研究・開発をしています。現場力とは、変化する状況に“時計の秒針の単位で”からだを呼応させる、一種の高度な集中力のことです。SeiZeeでは、例えば海の向こうで吹いた風が、読者の背中に届くよう、生きた記事配信を目指していきます。

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