【戦後70年を迎え、日本はこれからどうあるべきか・前篇 京都大学大学院・中西寛教授】

 

―――安全保障問題が現在世論を騒がせていますが、この議論をする上で持つべき視点、重要なことについてお聞かせください。

 

まず安保法制についての日本の理論について触れますと、やはり戦争の教訓や反省から何を読み解くべきかということを、よく考える必要があると思います。あの戦争が「道徳的にどう評価されるべきか」ということは非常に重要な問題で、日本が「侵略」したか否か、日本の軍事的行動が残酷であったか否かなどの事柄と同時に、その根源には戦前の日本は「なぜ」そのような行動をとってしまったのかということをまず考えることが重要です。そしてその問題の視点が、今の安全保障問題についての視点と非常に深く結びついていると考えます。

というのは、日本の一般の人々の常識や関心の中に、いわゆる軍事的思考あるいは安全保障についての論理的な考え方というのが国際的に見ても不足していることこそが戦前の国策の誤りに至った原因であり、また、今日の安保法制についての議論の欠点でもあると思われるからです。今の議論では安保法制が合憲か違憲かということがかなり問題となっていて、憲法学者においてもかなりの方が安保法制を違憲であると言っています。確かに他の憲法の条文や憲法のテーマの問題についてはもちろん憲法学者は立派な権威だと思いますが、こと憲法九条やそれが関わる安全保障や軍事の問題について言えば、多くの憲法学者の考えというのは最終的なものとはいえないのではないかと考えます。

憲法、特に九条について、多くの憲法学者は「戦前の日本が戦争したことは過ちであり、その反省や教訓から憲法が出来た」という認識に立って、憲法九条が戦後日本の平和の根幹にあるという考え方をとっています。憲法の三大原則として高校の教科書などにも国民主権、基本的人権と並べて平和主義を挙げていると思います。しかし平和主義が憲法の原則だということは憲法自身にはどこにも書いておらず、憲法学者の解釈です。憲法9条が平和主義を志向しているものかどうか、具体的な日本の歴史や憲法制定過程を見れば単純には言えないのですが、そのあたりを憲法9条=平和主義と見なす立場は捨象してしまっています。

戦前の日本は国際情勢についての考え方が浅く、そのことが結果的にはアジア諸国や自国民をも巻き込んだ大きな戦争・大きな被害となりました。これも日本が軍事力を行使したこと自体が悪い訳ではありません。軍事力の行使自体が悪いなら、日本と戦った中国軍も米軍も軍事力を行使したので悪いはずです。そうではなくて国際政治や外交への理解を怠り、戦争や軍事力について日露戦争の頃から進歩しなかったことに日本の問題があったのです。soldiers-1002_1280

同様に、憲法は制定時に国際連合下の集団安全保障が機能するという前提の下で書かれました。しかし国連集団安全保障体制に限界があることが明らかになると、戦後日本の安全保障は憲法体制と同時に日米安保や国連機構、冷戦構造などのさまざまな要素も組み合わせて成り立ってきたので、国際情勢や軍事情勢などが変化すれば、やはり日本の安全保障政策も変わらざるを得ないのです。そういう変化の側面と、憲法の法的安定性との間にはある程度の緊張関係がありますから、無制限に変更されてはならないにしろ、憲法9条という条項はそもそも国際情勢と密接に関連づけてのみ正しく解釈できるので、法律的解釈だけでは完結しない存在なのです。

特に個別的自衛権は合憲だが、集団的自衛権は違憲だという見解は、なぜ個別と集団の間に境界があるのか合理的な説明は欠いています。もちろん政策上どこまでやるかは別ですが、憲法上そこに区切りがあるというのは断定に過ぎません。安保についての議論は、国際情勢の問題や外交的、軍事的な視点というものと、法的安定性や道徳的な問題なども含めて包括的に議論しなければならない問題で、それは憲法九条を持っている日本の宿命ではないでしょうか。

その上で今日の安保法制というのはもちろん様々な論点を含んでいて、実際にどういう場合に自衛隊を動かすのか、あるいはどういう形で米軍であったり他国であったりに軍事的支援を行うのか、またリスクはどう回避するのかということなどについて、非常に難しい判断が含まれているということは当然だと思います。ですから、それらについて政府と国会、もちろん世論も含めてケースバイケースで十分検討しておく必要があります。緊急の時には時間的余裕が十分でないことも踏まえ、平時から様々な状況を想定し、具体的な対処について議論しておく。その上で、この法制に修正すべき点があればもちろん修正すればいいし、法制が成立したらどのように運用するかなどについても含めて、具体的な議論がなされるべきだと考えます。

 

―――集団的自衛権の必要性というものは確かに一定程度あると思いますが、今東アジアに緊張がある中で集団的自衛権に舵を取ることは、そういった国々に対して刺激をすることになるのではないか、例えば中国などに対してある意味攻撃的姿勢をとる口実を与えてしまうのではないかと思うのですが、ご意見をお聞かせください。

 

ポイントは2つあります。一つは、抑止か対話かというのは二者択一では無くて、抑止する力があってこそ対話も真剣なものになるというのが国際政治の構造だということです。それは国際政治の一つのジレンマだと思いますが、他国と真剣に対話をするようにするためには、まず日本が一定の力、抑止力を持つ必要はあると言えます。過去30年の間に、中国は公式統計だけでも軍事予算で40倍くらいになり、その間、アメリカは軍事費を削減し、停滞ないし微減傾向だった日本の3倍に達しています。日本が防衛費を抑えることは中国の軍事費を抑制させる効果はなかったと言わざるを得ません。そういう現状を鑑みれば、日本が一定の防衛力強化を目指すことで、中国の挑発的な行動を抑止し、また軍縮のインセンティブを与えるという考え方には合理性があると思います。people-831181_1280

もう一つの側面ですが、抑止力を考えるうえで挑発の危険というものは否定できません。ですが、特に現在は日米同盟を含め、アジアの多くの国やアメリカも日本の政策変化を肯定的に捉えており、どの国も日中が軍事的紛争に入ることは望んではいません。むしろ、東アジアの安定のためには、日本の防衛政策のこの程度の変更というのは望ましいというように考えている国が多いので、そういう国々と共同歩調をとる限り、中国は日本だけを選んで対抗行動には出にくいわけです。そういった、国際的な抑制力というのも中国に働くだろうと思います。もちろん軍事や国際政治の問題については100%の解答はないのでリスクが無いとは言えません。しかしむしろ現状の方が、中国の一方的行動が連鎖的に大きな対立を招いてしまうというリスクが大きいと考えます。

 

―――少し本質から外れるかもしれませんが、一般に右派と言われる人にせよ左派と言われる人にせよ、過激な発言、問題の本質をとらえていないような発言が、議員の中からも目立つような印象を受けるのですが。

 

個人の不用意な発言は昔から存在していたと思いますが、以前は報道されたり、広く注目されたりすることがありませんでした。最近はツイッターなどのSNSやブログなども発達してきて、個人の発言が比較的簡単に広まってしまいますから、インターネット時代に合わせた発言の仕方というものを考えるべきでしょう。しかし、一般の日本人にとって安全保障や軍事などの問題が非常にリアリティがないことが根本にあると思います。抽象論で右だ左だ、戦争だ平和だと言い合っているのも、究極的には日本にとって戦争や軍事といった問題が歴史的に滅多に遭遇しない事態であったために、抽象論でしか語れないというのが実情ではないでしょうか。戦前は軍事力一辺倒、戦後は平和一辺倒が主流ですが基本構造は同じです。どの程度原則に忠実かといった理念論に目を奪われて、具体論を議論せずに騒いで決着するというのは一番マイナスでしょう。

後篇に続く

 

文責:SeiZee編集部(2015年8月6日インタビュー)

写真引用元:https://pixabay.com/ja/

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