あなたも過激派かもしれない。

 

過激派とはいったい、誰なのか。

 

「さて、少し、正直に考えてみよう。私たちが暮らすこのモノトーンな社会、つまり、自由主義の極みか、保守主義の極みか、いつもどちらかの価値観により物事が決められていく、我々の社会について。もしも、私たちがほんの少し視野を広げることができたなら、私たちはこう認めざるを得ないであろう。

―私たちは、皆、過激派であるということを。」  (by Adam Walker on Belfast Telegraph)

 

2015年6月、チュニジアのホテル襲撃テロにて、観光客として滞在していた英国人30名が死亡する事件があった。この事件を受けた翌月7月に、英首相デイビット・キャメロン氏が、過激派集団への”完全なる対応策”を発表した。(フル動画はこちら

 

これに対し先月末(8/26)、キャメロン首相の方針、さらには英国の外交政策全体の方針について、北アイルランドの地方紙「ベルファスト・テレグラフ」のオピニオン欄に興味深い記事が載せられていたので、日本語にて紹介したい。興味深い、というのは、ここ数年の間、主に中東において紛争を繰り広げる一部のイスラム教信者を指して使われる「過激派」という言葉について、また、彼等を含め、世界を取り巻く「終わりなき争い」の構造について、全くの他人事として批判・敬遠する以外の選択肢の可能性を私たちに与えてくれる、という点においてだ。

 

筆者のアダム・ウォーカー氏は記事の中で、これら一部のイスラム組織の過激度合いに対し、他の様々な「過激」事例を引き合いに出す。例えば、英国で年間10万人もの死亡原因となっている過度の肥満や喫煙について。自己利益のために健康に悪い食品をも積極的に宣伝し、国民の不健康促進に加担するメディアの過激さについて。さらには、「独りよがりの正義」を押しつけ、それを疑う様な思考を一切排除しようとする、英国自身の右翼政治やキャメロン首相本人について。

 

「悲しい事に、英国の首相はこの様な(上述の事柄を、これらも一種の「過激」ではないかと疑問視し、)内省をすること、”ひょっとして”と口に出してみること自体を、過激派のサインだと考えているようだ。…(省略)…首相の提案していること、すなわち、このような考え方(疑問)そのものを取り締まろうとするやり方は、英国社会における最も神聖な権利・価値のひとつを侵害している。」

 

「過激思想は、人が考える権利を略奪することによって無くなるものでは決して無い。その考えが、例え誰かに対する反論であっても、だ。過激思想では、過激思想を変えることはできないということが、もうそろそろ誰の目にも明白であるべきではないのか。しかし(現状見る限りでは)明らかに、そうでないようだが。」

 

筆者は記事を通し、例えば英国の政治の在り方自体が、実は、結果として「過激派」をどんどん作り出している…というジレンマの構造について指摘する。

そして、記事の終盤でこう問いかける。

 

「(現在中東で起こっている大きな二つの争いは、もとは英国、そして”欧米の”外交政策が原因ではないか、という)苦情に対し、一理あるということを我々が認めることは、果たして、過激派の思想や活動を正当化し、大目に見る、ということになるだろうか…いや、ならない。むしろ、その行為は私たちの誠実さ、正義、高潔さを現す。万が一、忘れてしまった人のために言うが、それこそが、英国人の(そして、同様にイスラム国の!)誇る、価値なのではないか?」

 

英国の政治状況と、我々日本のそれとは、これまた全然違ったものである。故に、本記事におけるウォーカー氏のストーリー展開や問題提起には、共感できる部分、出来ない部分とがあるだろう。

 

今回、私が彼の記事に興味を抱いた理由でもあるが、日々、国内外のあらゆる争いの構造に対し、ふと自分自身の思考の仕方を顧みて、”ヒヤッ”とすることが度々ある。私のそれは、過激ではないだろうか、と。もっと具体的にいうと、自分が何かを意思決定し、発言・行動に踏み切るその瞬間、私の頭の中の「。」(言い切り/完結型)と、「?」(問い/探求型)の数、いったいどちらが優勢だろうか、と。それは自分の仕事場、友人や家族との場、あらゆる生活の場面において。新たな事実や正義、可能性を問う以上に、自身の極めて瞬間的・限定的な合理性が勝ることは、例えそれが一個人の頭の中での出来事だとしても、ぐっと視野を広げ想像を膨らませれば、それが世界の争いの構造に加担していることが、手に取るようにわかるのだ。

 

もしよければ、皆さんにも一度、この極めて具体的な問いにより、試しに数を数えてみて頂きたい。

「。」が優勢か? 「?」が優勢か?

 

あらゆる言動・行動の最中にも、ありとあらゆる可能性に耳を傾ける問いのスペースが、皆さんの頭の中には、どれくらいあるだろうか? 黒と白、右と左、陰と陽…あらゆる美徳の交差点に立つ私(皆さん)は、いま、どれだけの矛盾を、快く迎え容れる準備ができているだろうか?

 

もしかしたらこれらの問いが、私たちを、より「優しく」してくれる、

かもしれない。

―という仮説をもとに、最後はまたウォーカー氏の引用で終わろうと思う。

 

「全ての命の価値を認めること、そして、間違いを受けとめる謙遜の心を持つことこそ、私たちを英国人の在り方だ(what makes us British)。価値観を自由に表現する事もまた、そう。そしてこれらのバランスを保とうとすることが、我々英国人の価値とするもののうち、最も真の価値であり、最も忘れられているものではないだろうか。」

 

参考・引用文献

※「 」内の文章は、下記の記事を翻訳しております。原文への忠実さを心掛けて訳させて頂きましたが、意訳となってしまっている部分もあるかもしれません。下記のリンクにて、原文をお読み頂く事が出来ますので、どうぞご参照ください。

Extremism can never be defeated by eradicating our right to think, even if those thoughts offend others’ -by Adam, Walker

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世羅侑未

世羅侑未【国際、教育】

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