あなたは情報を「聞いてますか」それとも「聴いてますか」

1つの事実には「様々なストーリーがある」ということを認識することは簡単なことではない。一つのストーリーだけを認識し、それが全てだと思ってしまうこともよくあることだ。しかし、この認識がいかに重要であるかを思わせる一つの事例があった。

村にあった「ゴミ置き場」

 私たちの生活同様、ミャンマー(ビルマ)にあるミャウンミャという村にも生活などからでたゴミが捨てられる場所がある。しかし、この村には焼却場のようなものはなく、一箇所にゴミが大量に置かれている、いわゆる「ゴミ山」が存在する。このゴミ山が存在しているにもかかわらず、村人たちの環境問題の意識は低い。プラスチックのような土に返らないゴミが出てくるようになり、ゴミに関する環境問題は現在進行形で進んでおり、深刻化しているように思われた。このゴミ山も年を重ねるごとに広がっており、「日本ではどうやってゴミを処理しているのか?」という質問が役人の方から出るほどであった。

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ゴミ山

村のゴミが集まりゴミ山となっているのだが、そのすぐ近隣には人々が暮らしている。そこに住む人からによると、ゴミ山から出る悪臭などが原因で生まれた赤ちゃんが死んでしまう程だそうだ。

 

この一連の状況を読み、あなたはどんなストーリーを想像するだろうか?

 

 

ゴミ山を巡る2つのストーリー

ストーリー1 〜役人からの視点〜

ゴミ山の近くに人が住んでいるにも関わらず、ゴミをそこに捨て続ける側の言い分は、そこはもともと政府の土地であり、不法に人々が暮らしているのだという。勝手に暮らしている人たちに配慮する必要はないということだった。

ストーリー2 〜住民からの視点〜

住民たちはずっとそこの土地に住んでおり、政府が一方的にゴミを捨てるが故に、彼らは住む場所を少しずつ移動していかなければならないという。このゴミ山のせいで、自分たちの住むスペースが奪われていっているということだった。

 

 

この2つのストーリーを受け、あなたは何を考えるだろうか。

 

 

2つのストーリーを知る前に描いた想像通りであっただろうか?それとも、この二つ以外のストーリーを想像しただろうか?

 

この2つのストーリーから分かることは、ゴミ山をめぐり互いの主張が衝突しているということだ。この原因を突き止めるためにはもっと深い調査が必要となるが、ここで考えて欲しいことは「もし、片方の視点(ストーリー)しか知らなかったら」ということだ。どちらか片方の主張しか知らなかった場合、もう一方の方が「悪者」になっていたに違いない。2つのストーリーを知らずして、ゴミ山を巡った衝突を知ることはできなかった。一つのある事実にどんなストーリーが取り巻いているのかを想像することは非常に大事なことである。なぜなら、その想像がなければ主張が「偏見」に変わってしまうからだ。村にあるゴミ山からは、様々なストーリーを想像することの重要さを考えさせられた。

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ゴミ山の隣にある住居

 

それって当たり前じゃない?

今まで上で述べてきたような事は、どこにでも書いてある事だ。偏見を持たないためにも色んな角度から考えましょう」「他人の気持ちになって考えましょう」と。

そのような言葉が世の中に溢れているにも関わらず、一方的な主張や、主観からだけで語られる主張は後を絶たない。そのような状況からは、言葉だけが先走り思考がついて行っていないように感じる。

理解と思考の間には差があり、頭で理解していても、その考えをもって思考できなければ意味がないのだ。

 

「聴く」と「聞く」の間にある決定的な差

「様々なストーリーを想像する」事の重要さは理解できるが、それをもって思考ができないのはなぜだろうか。その理由の一つに「聴く」経験がないことに原因があると考える。

 

ここでは「聞く」を、ある情報を間接的に聞くこと、すなわちテレビや新聞などのメディアから情報を得るということにする。

一方「聴く」を、ある情報の当事者から直接的に話を聴くこと、つまりインタビューや講演会などで当事者から情報を得るということにする。

 

誰もが日常的に「聞く」ことを経験するが、「聴く」経験は自分から動かないと経験することができない。情報を得るという同じ行為だが、この「聞く」と「聴く」の間には決定的な差がある。

 

「聞く」と「聴く」の間にある大きな差は、情がはいるかそうでないかというところにある。ミャンマーのゴミ山を巡る衝突の場合、役人の人には役人の人生がそのゴミ山に関わっており、住民には住民の生活そのものがかかっている。このゴミ山は彼らにとって社会問題ではなく、生活に直接影響を及ぼす課題なのである。当事者から話を「聴く」ことによって、両者に情がはいる。そして、簡単にどちらが悪いと言うことができない状況が生まれる。簡単に判断ができない状況の中で、自分ならどういう主張ができるのかを考え主張することが、「様々なストーリーを想像する」ということである。

「聴く」経験がない人は、一度でいいから足を動かしてほしい。そしてその経験をもとに、メディアからの情報も聴いていただきたい。

中田直志

中田直志【国際・政治・文化】

投稿者の過去記事

【国際・政治・文化】
座右の銘は “風たちぬ、いざ生きめやも”です。
自分の書いた文章が、誰かにとっての閃きの瞬間であったらいいなと思ってます。

日ミャンマー学生会議(IDFC)元スタッフ。現在コペンハーゲン大学に留学中。

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