『ビルマ』失われた国のために28年間戦った男たち

民主化への勢いを肌で感じるビルマ(ミャンマー)国内、学生から大人まで「これからの社会は変わる」と口を揃える。アウンサンスーチー率いる政党(NLD)が選挙で大勝利を収め、国民の政治や社会に対する期待はかなり増している。そして筆者自身も、政治的な理由で昨年までできなかった事が、今年はできるようになったという変化を体験した。まさに国内では「民主化旋風」が巻き起こっている。

この「民主化旋風」を誰よりも待ち望んでいた人たちがいる。28年間ミャンマーの民主化のために人生を注ぎ、国を「ビルマ」と呼び続けてきた人たちだ。今回はその人たちの存在を紹介したい。

28年前の1988年8月8日、「8888民主化運動」と呼ばれる大規模な民主化運動がビルマ国内で行われた。実はビルマは、第2次世界大戦前まで「東南アジアで最も豊かな国」とされていた。しかし、1987年には国連によって「後発発展途上国」に認定され、最貧国となってしまっていた。このことに対する政治への不満感情の爆発が、88年に起こった民主化運動であったのである。

当時の政権は、この民主化運動を武力で制圧し、1万人を越える人々が国境へ逃げたとされている。当時、この民主化運動を先導していたのは学生だった。彼らが国境へと逃れた後、ABSDF(全ビルマ学生民主戦線)という団体を発足し、民主化への戦いが始まった。

 

「世界で唯一の武器を持って戦う学生団体だ」

 

ABSDFに所属する一人の男が口にした。その時の彼の目は、ずっしりと重かった。国を離れ、彼がどんな想いで民主化のために戦い続けたのかは想像することができない。

 

人々は様々な想いを持ってABSDFに入る。

 

「政治のことは分からなかったが、自分の信じていた宗教に対して銃を向ける政府が許せなかった。」

 

一人の男は、ABSDFに入った理由をそう語った。ビルマは仏教への信仰が非常に強い国である。お坊さんが銃で撃たれ、倒れる姿を目にした時の彼のショックは計り知れない。当時、彼のおじいちゃんは、お坊さんに銃を向ける立場にあった政府側の軍人だったそうだ。

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キャンプファイアを囲みタバコをふかすABSDFの男

 

「夜、武器を持って逃げた。」

 

もう一人の男はそう語った。当時建設業に関わっていたが、18歳の時ビルマ軍に捕まり、無理やり少年兵として働かされていた。しかし、5年間働いた後、夜に武器を手にし、走ってジャングルへ逃げ、ABSDFに入ったそうだ。

 

ビルマの民主化のため、人生を捧げ戦っている人はABSDFに属する人だけではない。政治難民として日本に逃れ、武器を持たず、大使館の前でデモをし続けた男たちもいる。そのうちの一人が、28年間民主化運動をし続けている心境を語った。

 

「自分のやってきたこと、自分の人生に悔いはない。お前のやっていることは意味のないことだと、友人に言われたこともある。だが、それは違う。俺たちのやっていることは、国の将来のため、自分の国のためだ。今の国は何も自由がない。ビルマの人が幸せに自由に生きるため、俺たちは国と戦い続けた。」

 

彼が民主化運動を始めるきっかけとなったのは、ジャカルタに仕事で行ったときのことだったという。東南アジアの中でも豊かな国であったはずのビルマは、ジャカルタよりもかなり劣っていた。その事実を目の当たりにした時、政府に問題があるという感情を抱いたらしい。

 

彼は自分の活動に対してこうも語った。

 

「本当はこんなことやりたくない。しかし、自分の国が終わっているからやるしかない。こうやって自分たちが活動しないと、自由な国はこない。だから自分たちは諦めず国と戦う。」

 

使命感と責任感、そして民主化に対する意地がこもっている瞳はとても印象深い。

 

「ビルマに帰ったら、いちご農園をしたいな」

 

最後に漏らした彼の言葉には、切実に平和で自由な国を求める感情が込められていた。

 

ABSDFに属する人も、そうでない人も、ビルマの民主化に人生を注ぐ人たちは、国の名を「ミャンマー」と呼ばず、「ビルマ」と呼ぶ。なぜなら1989年、当時の軍政は対外的な英語の国名を「ビルマ」から「ミャンマー」に変えたからだ。「ビルマ」と呼び続ける人たちの感情の裏には、「自分の認めていない政府が勝手に変えた国名は、国名として認めるわけにはいかない。」「ミャンマーを認めることは、軍事政権を認めることになる。」という想いが隠れている。現在、「ミャンマー」という国名が広がり一般的になっている。同時に「ビルマ」という言葉が歴史になっているように筆者は感じる。「ビルマ」という言葉が歴史になっていくように、「ビルマと呼び続ける人たち」の存在もまた、遠い昔の存在になっているように感じる。「ミャンマー」が「アジア最後のフロンティア」と呼ばれ、著しく経済が発展している状況や、「民主化旋風」が巻き起こっている背景には、民主化のために28年間人生を注ぎ、社会がどんなに変化しようとも「ビルマ」と呼び続けた人たちの存在がある。本当に多くの人々が「民主化旋風」を待望していたと思うが、その中に「ビルマと呼び続ける人々」の存在もあることを知っていただきたい。

 

この先「ミャンマー」という言葉を目にした時、頭の片隅に「ビルマ」という言葉も思い浮かべて欲しい。

 

中田直志

中田直志【国際・政治・文化】

投稿者の過去記事

【国際・政治・文化】
座右の銘は “風たちぬ、いざ生きめやも”です。
自分の書いた文章が、誰かにとっての閃きの瞬間であったらいいなと思ってます。

日ミャンマー学生会議(IDFC)元スタッフ。現在コペンハーゲン大学に留学中。

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