京都存亡論~京都が生き残るためには~

皆さんこんにちは。SeiZee編集部の密原です。

今回は編集部のある京都のお話をしたいと思います。

私は京都の大学に通っています。

もともと寺社仏閣が好きだった私は、京都に特別な印象を持っていました。

私に限らず、世間の人々も京都に対して他の都市とは違う印象を持っていると思います。

京都は歴史が古く、観光地がたくさんあり、また学生の町でもある。

そして京都人は癖が強く、プライドが高い。

今回はこの京都人のプライドについて詳しく見ていくことにします。

 

では、京都人のプライドっていったい何なのでしょう。

私は京都人のプライドが大きく2つに分けられると考えています。

それは『日本一でありたいプライド』と『よそ者を認めないプライド』です。

まずは前者の方から。

京都は794年の平安京遷都以降、千年の都として栄えました。

天皇を擁する京都は、権威主義の観点から当然日本一の都市だったわけです。

また今でこそ産業と言えば東京や大阪となりますが、当時京都は日本一の産業都市でもありました。

つまり京都は千年間、名実ともに日本一の都市だったのです。

そしてその千年の間に、京都人は京都が日本一の都市であるというプライドを育んでいました。

ですので都が東京に移った今でも、京都人は『日本一でありたいプライド』を持ち続けているのです。

次に後者の方を。

よそ者を認めないというのは、『一見さんお断り』に代表される京都人の特徴だと思います。

これについて哲学者の鷲田清一氏は『京都の平熱』という本で、

施政者が民の家並みを押しのけて路を整備し、邸宅や伽藍を作り、民は別の隙間を見つけてでもそこに居続ける。仕事があるからだ。仕事にしがみつくためだ。一生懸命働いているうちに、つてもできてくる。都市に出稼ぎに来てそのまま住み着いた者のつてはもはや血縁ではない。郷からも都市の支配層からも押しのけられた者たちの相互扶助のネットワークである。それを護るために、ときに内に閉じてしまうこともあるネットワークである。ネットワークに入れるまでは「一見さんお断り」の風習である。

と書いています。

つまり『一見さんお断り』は、京都人が施政者から自分たちを守るために生まれた風習なのです。

それが現在では、よそ者を簡単に認めないプライドとして形を変え、残っているのです。

 

ここまで京都人の2つのプライドを紹介した上で、本題に移りたいと思います。

『日本一でありたいプライド』の話の続きです。

時代は移り変わって、都は東京となり、産業の中心も他の都市に移りました。

このままでは日本の中心は東京になってしまうという危機感が京都にはありました。

そこで京都は日本一であり続けるために、産業都市から観光都市にシフトチェンジを図ったのです。

これは功を奏しました。

実際京都では非常に多くの外国人観光客を見かけます。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-17

平成27年 京都観光総合調査について(http://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000202863.html)より

このデータを見ても分かるように、台湾や中国を筆頭に京都を訪れる外国人は年々増えているのです。

しかしいつまでも京都の観光業は安泰なのでしょうか?

イギリスのEU離脱を発端とした円高により、今後外国人観光客は減少すると考えられます。

また中国の経済もいつまで今の好況を維持できるか分かりません。

中国人の観光客が減れば、観光業に非常に大きな打撃を与えることになります。

さらにはリニアモーターカーの問題もあります。

リニアは新幹線に代わる高速鉄道として期待されていますが、現在のところ京都には通らない見込みです。

京都市は必死に誘致をしていますが、現実的に厳しいでしょう。

京都が観光都市としてやっていく以上、リニアが通らないのは死活問題となります。

他にも京都の観光業が抱える懸念は挙げるとキリがありません。

ではこのような懸念が現実のものとなっても、京都に観光客を呼び続けるためにはどうすればよいのでしょうか。

答えは簡単です。

京都が手軽に行くことができなくても行きたいと思われるような観光地を目指すことです。

人気の観光地が必ずしも好立地で、行きやすいところにあるわけはありません。

行きたいと思われるような観光地であれば、多少条件が悪くとも観光客は集まります。

ですので京都は行きたくなる観光地を目指さなければならないのです。

これにはあらゆる人々の協力が必要です。

では、現状はどうなっているのでしょうか。

例えば行政は、京都の観光にかなり力を入れていると思います。

京都のバスは観光に便利ですし、駅では多言語の案内が充実しています。

しかし市民のレベルではどうでしょうか?

町中に多言語の案内が溢れる京都ですが、ひとたび観光地に入ると一変します。

日本語以外の案内は非常に少ないです。

外国人観光客からすると、あまりに不親切ではないでしょうか。

多くの外国人は日本人と比較して、その観光地に対する知識が薄いわけですから、日本人向けの案内以上に外国人向けの案内を充実させないといけないはずです。

しかし実際は、英語の案内すらほとんどありません。

観光地を楽しむことができないのなら、次も京都に来てもらえる可能性は低くなります。

また、これは私のバイトでの経験談です。

私は京都のとある観光地にあるレストランでバイトをしているのですが、店が忙しくなると外国人観光客の入店を断ることがあります。

これには外国人の対応ができない等、ある程度仕方ない部分はあると思います。

しかし断られた外国人にとって京都の印象が良くなることはありません。

ここで挙げたようなことが積み重なると、京都の魅力よりも、悪い印象ばかりが残るのではないでしょうか。

インターネットが普及し、口コミが広がりやすい時代です。

観光客が悪印象をもって帰ると、本来獲得できるはずであった観光客も逃してしまいます。

日本一の観光都市を目指す京都にとっては絶対に避けなければならない事態です。

shrine-1031662_1280

京都の観光地でも特に人気のある伏見稲荷

 

ではこういった事が起きてしまう原因は何なのでしょうか。

私は京都人の心の中に、最初に述べた『よそ者を認めないプライド』が存在してるからだと考えます。

京都の人は、よそ者、特に外国人に対して、あまり奥深くまで入ってきてほしくないという意識があります。

つまり『一見さんお断り』の意識です。

(あくまで意識の話であり、世間一般のマナーの悪い客を排するために行っているものとは別物です)

こうした意識が根付いているので、気づかぬうちに外国人観光客に対しての不親切を招いているのです。

結果として『日本一でありたいプライド』が『よそ者を認めないプライド』によって無意識のうちに阻害されるといったことになってしまいました。

これら2つのプライドを両方持つことは、京都が都であった時代は可能でした。

なぜなら京都が名実ともに日本一の都市だったからです。

しかし現在はそうも言ってられません。

京都は今、日本一を”目指す”都市なのです。

『一見さんお断り』は京都人の培ってきた素晴らしい文化ですが、これにこだわることが京都人の首をしめることになりかねません。

ですので京都がこれからも日本一の都市でありたいなら、この『よそ者を認めないプライド』を捨てなければならないのです。

私は『一見さんお断り』をやめろと言っているわけではありません。

むしろ京都のディープな良さとして残していくべきです。

伝統は残しつつも、閉鎖的な意識を変えていかなくてはいけません。

例えば観光地の案内の充実や、通訳の確保、ハラールやグルテンフリーに対応した京料理など。

外国人観光客に満足してもらうためにできることは、まだまだあると思います。

京都にやってくる人は、長年培ってきた伝統や文化を求めています。

ですので、京都の人々は伝統や文化を守っていかなければなりません。

しかし、伝統や文化を守っていくことと、古い考えに固執することは全くの別物です。

先ほど挙げたことは、伝統や文化を損なわずにできることです。

誇るべき京都が日本一であるために、足かせとなるプライドは捨てませんか?

新米京都人として、大好きな京都がいつまでも栄えてほしいからこそ、このような提言をさせていただきます。

 

ピックアップ記事

  1. トランプや安倍総理の言動や移民問題、ヘイトスピーチに沖縄の基地問題、今では森友学園の話題など、現在の…
  2. 「日本が好きだ。当たり前だ。日本に生まれて、日本で育った。だって僕は日本人なのだから。」…
  3. 類聚=同じ性質・種類のものを集める前回少し平安時代の話をしましたが、平安時代の古典には「○○類聚…
PAGE TOP