アウシュビッツに足を運んで感じた「想像力」の大切さ


アウシュビッツ
という名は誰もが聞いたことがあるでしょう。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍によってつくられた強制収容所です。現在は「国立アウシュビッツ・ビルケナウ博物館」という名でその跡が残っています。ちなみに、アウシュビッツは一番初めにつくられた収容所を指し、ビルケナウはその次につくられた第二収容所のことを指します。戦時中、約110万人ものユダヤ人がこれらの収容所に連行され、そのうちの100万人が殺害されたとされています。ユダヤ人の虐殺が象徴的ではありますが、それ以外にもジプシーやポーランド人、ソ連軍捕虜などを含む数万人がこの地で殺害されました。

アウシュビッツ・ビルケナウは「負の遺産」として残され、現在では多くの人がその地を訪れています。ここ十何年の間で来訪者の数が急激に増えたとの話もありました。アウシュビッツ・ビルケナウで起こった出来事の情報の多くはインターネットで得ることができます。私もアウシュビッツ・ビルケナウを訪れる前にインターネットを使い情報を収集しました。

多くのウェブサイトがそうであるように、私自身もここで数字を並べ、記録を綴り、収容所で起こった出来事を書き留めることはできます。

例えば、ユダヤ人が収容所に列車で連行された後、働ける体であるかどうかを選別され、働けないと判断された人々はガス室に送り込まれその場で殺されたこと。働けると判断された人々も、多くの人が過労や飢餓などを原因に3か月と経たない間で死んでしまったこと。合計1950kgにも及ぶガス室で殺された女性の髪の毛は、ナチスの親衛隊(SS)によってドイツの繊維工場へと売り出されたこと。そして、売り出されず残っている髪の毛は現在アウシュビッツに展示されていることなど、、、。

しかし、このような情報を書くことに対して、私は葛藤を抱きます。なぜなら、これらの数字や記録の文字から受ける印象はどこか冷たく、収容所に立った時の感覚と乖離しているように思うからです。なので以下の文章では、アウシュビッツ・ビルケナウの説明を交えながら、なぜこの感覚の乖離が起こっているのかを説明し、いかに「想像力」が大事であるかを伝えることができたらと思います。auschvitz-birkenau-189509_1280

展示物の向こう側に見える人々の生活

アウシュビッツ・ビルケナウに入り、最初に認識することは、本当に人々の生活がそこにあったんだということです。アウシュビッツには数多くの使用されていたものが展示されています。収容されていた人が使っていた洗面所や寝室、衣服や鞄など、、、。収容所なのだから人々が暮らしていたに決まってるじゃないかと思われるかもしれませんが、筆者は展示物を見るまでその実感が沸きませんでした。

例えば、実際に着られていた服を目にすることで、服のサイズや生地の厚みが視覚として入ってきます。それらの視覚情報により、収容されていた人々がどんな服を着ながら働き、暴行を受け、冬を越したのかなど、そこに生きていた人々の生活をより具体的に想像することができます。

また、山積みになった女性の髪の毛の展示は、ストレートの髪の毛やパーマがかかった髪の毛などを区別することができ、想像の中の人々の姿が現実味を帯びます。

アウシュビッツは展示物だけでなく、ユダヤ人が大量に入れこまれ虐殺されたガス室や、監獄されていた部屋、見せしめとして人々が銃殺された「死の壁」などを実際に目にすることができます。中に入り匂いや空気の圧迫感などを感じることで、どんな場所で人々が殺害されたのかを視覚情報以外からも想像することができます。

これらのものを目にし、収容所に生きた人々の生活が想像できたことで初めて、数字や記録の文字が伝えることの深刻さが認識できました。

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(出典:http://www.shekel.cz/tag/usaより)

文字と感覚の乖離

アウシュビッツ・ビルケナウで起こった出来事がどれほど残虐なものであったかということは、知っていました。しかし筆者は、とても恥ずかしい話ですが、アウシュビッツ・ビルケナウに行くまでその深刻さをしっかり認識(理解)できていなかったように思います。現地に足を運んだことで初めて、数字や記録の文字が生きたものになりました。

インターネット上にはアウシュビッツ・ビルケナウに関する情報が溢れています。しかしそれらは単なる数字や文字でしかありません。情報を発信する側は魂を込めて数字や文字を並べますが、その情報が受け取る側に伝わる時には、ある意味で「死んだもの」になっています。アウシュビッツ・ビルケナウの事を書くことに対して抱く葛藤は、「どうすればこの言葉と感覚の乖離を埋めることができるのか」と考えることからきます。

そして、この葛藤はなかなか解消されません。この乖離を埋めることができないのです。私の語彙力に問題があるのか、言語そのものの限界なのかはわかりませんが、言葉を超えて感覚を伝えることは難しいように思います。

だからこそ、私は「想像力」がいかに大事かを伝えたいと思います。

「想像力」がなぜ大事なのか

それまで死んでいた数字や文字は、アウシュビッツ・ビルケナウに実際に行ったことで生きたものになりました。それは紛れもなく、アウシュビッツ・ビルケナウにある「怨嗟が刻み込まれた人間の生きた証」を目にしたことがきっかけです。展示物を見て現場に立ち、そこで起こった出来事の想像が膨らんだ結果、数字や記録の文字が生きたものになりました。「想像」がアウシュビッツの深刻さを認識させたのです。

視覚や嗅覚などの五感を使い情報を得ることは、現場に行くことでしかできないことであり、実際に足を運ぶことの価値です。しかしそれは、現場に行かないと想像することができないという意味ではありません。想像することは誰でもできます。その人がどれだけ想像できるかの差は、想像力の差です。数字や文字などの少ない情報だけでアウシュビッツの深刻さが認識できる人もいるでしょう。一方、現場にいても笑顔で回れるツアー観光客も目にしました。両者の間にある差は「想像力」の差なのです。

想像を働かせなければ、インターネット上にある数字や文字は「死んだもの」のままです。想像することが数字や文字に命を吹き込むのです。そして生きた数字や文字は、あらゆる疑問を読者に沸き起こさせ、認識や理解へと繋がるのだと思います。

是非、アウシュビッツ・ビルケナウに関する情報を目にするときは、想像力を最大限に使ってみてください。%e9%9d%92%e7%a9%ba

中田直志

中田直志【国際・政治・文化】

投稿者の過去記事

【国際・政治・文化】
座右の銘は “風たちぬ、いざ生きめやも”です。
自分の書いた文章が、誰かにとっての閃きの瞬間であったらいいなと思ってます。

日ミャンマー学生会議(IDFC)元スタッフ。現在コペンハーゲン大学に留学中。

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