Conflict with/without Eros:不安定で美しい議論

ご無沙汰しています、Seizee記者の世羅です。

さて、今月は4年に1度の大イベントで世界の注目を集めたアメリカ。開票後のトランプ氏、クリントン氏、オバマ大統領による演説を終え、アメリカ新大統領誕生へ向け世界中で繰り広げられた議論にひとつ結論がもたらされました。

今回の記事では、この「議論」と「アメリカ」というものをテーマに取り上げてみることにします。

 

アメリカっぽい議論とは?

みなさんは「アメリカっぽい議論」というとどんなイメージをもちますか?

選挙前の討論会のように激しく互いを(「互いの意見」を、と書きたいところですが、そうは見えない部分も多々ある議論でした)批判し負かしあう、闘争型のやりとりを想像するでしょうか。少なくとも、日本でみられる議論に比すと、より個々の意見を積極的に主張し、対立をおそれず踏み込んでいくイメージが浮かびそうです。その積極性やリーダーシップを称えるひともいれば、議論の過程で誰かが傷つく悲劇を、批判的に思うひともいるでしょう。

意見の食い違いが生じたとき、まず譲歩しようとするよりも、しばらく主張をぶつけてみる方が双方の選択肢(の詳細や優劣)が明らかになり、その過程で新たな選択肢が生まれることがあります。論理的には建設的な行為ですが、実際の問題は、「いったいどれだけの人がそこに参加し続けたい/し続けられるかどうか?」です。1179d1a84c3bb8cff536f5beb356abef

理想的な議論とは何か?-私が出逢ったマジックワード-

私自身、米拠点の教育系NPOに所属しています。多様な背景・国籍のメンバーがいますが、やはり拠点であるアメリカ色の強い議論で会議が行われています。その場にいると明らかなことは、対立議論で最後まで生き残るのは、アメリカ人を中心とした特定の人であることです。決してシャイなわけではないヨーロッパ人、アフリカ人勢も、その場からスーッと身を引いてしまうことがあります。

果たして、理想的な議論の在りかたってなんでしょう?
特に、こうした多国籍人が常に混在するアメリカにおいて・・・。

そんな風に考え巡らせていた矢先、考えたこともなかったマジックワードに出逢いました。同団体幹部のひとりである女性が最近「真に相互的な議論に必要なのはエロスだ」と言い始めたのです。

「We can’t have a conflict without eros, and we can’t talk about eros without humor.」
(エロスのない(議論の)衝突はありえない、ユーモアのないエロスはありえない)

と。いったいどういうことでしょうか。

エロスとは、古くからギリシャ語で「愛」をあらわす4つの単語のうちのひとつで、「性的な愛」を意味します。性的な愛・・・というと、男女の間が前提とされることが一般的ですね。彼女は、エロスを再定義します。異性に限らず同性でも、或いは恋愛に限らず家族・友人同士・ビジネスでも、あらゆる状況下で生まれうる(生まれているし、生むことができる)という前提に基づいてみたらどうか、と。「つまり、私たちの議論においても」と彼女がユーモアたっぷりに提案したのは、「まるで大好きな男性(女性)に、どうしたら裸になってもらえるか一生懸命に考えるときのように」発言をするという試みでした。

考えたこともないような問いではないでしょうか。

 

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不安定で美しい議論-エロスのあるやりかたで。-

私たちにとって、エロスとビジネスという響きがどうも結びつかない気がする要因は、「感情」という存在の有無ではないでしょうか。もう少しいうと、「エゴ」かもしれません。エゴや感情はしまっておく、というのがビジネスの掟なのかもしれません。美しくないから、でしょうか。しかし、ひとたびそれが恋愛物語という文脈になると、私たちの多くがそれを美しいと感じます。何が違うのか。

それは、エゴや感情をどのように差し出すか、というところにヒントがあると思います。「あなたのことを好きになってしまった、だから、週末私とデートをしてほしい」を伝える男女の表情や仕草には、どこか決意の中にも困惑、勇気の中にも羞恥心、自分自身への驚きと同時に、それに対する平然とした承認・・・こうした複数の対立概念のシーソーがぐらぐらと揺れているような、そんな、安定した不安定感が漂います。私は、これこそ彼女が私たちの議論で大切にしたい感覚として指摘したのではないかと解釈しています。不安定で、美しい議論です。ウェブサイトのページをどうするかという議題ひとつとっても、考えてみれば、私たち自身から生まれてくる意見に、エゴや感情や、その背景となるあらゆる論理の矛盾がないわけがないのです。こうした不安定(不完全)な“わたし”や“わたしの意見”の安定を装うのではなく、衝突の接点がゆらゆらゆれる状態をやわらかく保つことで、やっと意見と意見が交わることができ、創造が生まれるのかもしれない・・・そんな仮説をもって、いま、私たちは実験をしています。

果たして、理想的な議論の在りかたってなんでしょう?
様々な社会課題において地球規模での協力を試みはじめたいま、私たちの団体を含む多くの多国籍コミュニティがより創造的な関係性や活動の在り方を模索しています。その最大の拠点のひとつであるアメリカのDiscussion Culture(議論のスタイル)は、どのように見直される必要があるのでしょうか。

「In a erotic manner.」(エロスのあるやりかたで。)

あらゆる可能性を想像するための、ひとつの切り口になりましたでしょうか。

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世羅侑未

世羅侑未【国際、教育】

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こんにちは、世羅です。普段は「現場力を鍛える教育」の研究・開発をしています。現場力とは、変化する状況に“時計の秒針の単位で”からだを呼応させる、一種の高度な集中力のことです。SeiZeeでは、例えば海の向こうで吹いた風が、読者の背中に届くよう、生きた記事配信を目指していきます。

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