【インタビュー】仏教者というあり方。社会に対する違和感から選んだ仏教の道。

京都嵐山、日本を代表する観光地の一つに私はいた。

1219日午前10時、紅葉のシーズンも終わりを迎えたからだろうか。観光客の姿はほとんど見受けられない。閑静な住宅街を通り抜け、たどり着いた先にその場所はある。目的地の名は妙林寺。その中でお話を伺った。

今回インタビューしたのは日蓮宗・関西身延真如寺別院 淨山妙林寺の住職である植田観肇(うえだかんじょう)さん。お坊さんから見た世界とは一体どんなものなのだろう。

お坊さんって一体どんな人?

ーーー今回はインタビューを受けてくださりありがとうございます。最初に自己紹介をお願いします。

植田観肇と申します。同志社大学の経済学部出身です。実家は大阪府能勢町の真如寺というお寺で、能勢妙見山の本院といったほうがわかりやすいでしょうか。

ーーー仏教を信じられたのはいつからですか?生まれた時から信じられていましたか?

生まれた時から信じていたということは全然なくて、キリスト教系の同志社大学に入ってるっていうことからもわかると思うのですが、お釈迦様の言葉と現状のお寺がやっていることのつながりが見いだせず、日本のお寺に対する違和感が私の中にありました。

それで実家のお寺に戻らずにもともと好きだったIT系の大手電機メーカー に入社しました。

ーーーお坊さんになろうと思ったのはいつですか?

勤め始めてから3年ほど経った時です。その時までに大規模なリストラが何回かありまして、10人ほどで回していた仕事を1人で受け持つようになるほど仕事の量が激増しまして、真面目な人ほど潰れていくような環境でした。

現在は会社として従業員のライフバランスを考えることの重要性が認められ、それこそが継続的な成長の原点であることだと認識する経営者も増えてきました。しかし当時はそのような認識も薄く、残った従業員のみんなも目の前の仕事を回すことで精一杯だったのだと思います。自身の会社やパートナーの企業で過労死やうつ病になる人を見ている中でふと疑問を抱くようになりました。

それは、会社自体は社会を幸せにすることを社是として人をハッピーにする企業なのかもしれないが、果たしてそこで働く社員をハッピーにできているのだろうかということです。その時に自分は生まれがお寺だったので、仏教で何かできないかと考えるようになりました。

ーーー植田さんが仏教を広めることで何かしていることはありますか?

いろいろあがいている状況ですね。仏教のためだけということでもないんですけど、例えばブナを守る活動をしています。明治時代までは日本中で山の木が切られていて、あの六甲山も明治初期までははげ山でした。なかでもブナは役に立たない木として、新たに植えられることもなくほとんどられ、飛鳥時代から人口の多い北摂地域では妙見山を除くと一本もブナの木はありません。妙見山のお寺の境内地にだけブナが残っていて、これは一万年間この場所の木が切られていない証で、日本人が森を信仰の中で大切にしてきたからなんですよ。ブナを守ることを通じて、昔の日本人が信仰の拠点としてここを大切にしてきたよという文化であったり、そで大切にしてきた信仰心って何なのか、そういうことを広めるきっかけになればと思ってます。こういう活動だと自治体も協力しやすいですし、宗教には興味ないけど歴史や自然が好きな方もボランティアとして集まってもらいやすいので、活動自体に宗教性はないですが仏教を広める一つの手段という側面もあるのかなと思っています。

ただ自分の活動によって誰かが悲しむといけないので、近江商人が言うところの「三方よし」、私がよくてあなたもよくて社会もよくなるというものでないと社会に広まらないと思うのでそのあたりを意識して活動しています。私たちの祖師である日蓮聖人も、自分だけでなくみんながハッピーになることを目指していますし。

ーーー仏教を信じていて良かったなと思ったことや、逆に悪かったと感じることはありますか?

仏教を信じていてよかった悪かったとはあまり考えません。しかし、仏教的にいいのか悪いのかは日々考えます。

というのも、仏教というのは非常に難しい教えだと言われています。僕の友人にアメリカ人で元々クリスチャンのお坊さんがいるのですが、彼がキリスト教は小学生でも理解できるような簡単な教えだけれども、仏教は大学生や大学院生じゃないと理解できない難しい教えだよねという話をしていました。

すごくシンプルな教えのように見えて、解釈がとても難しくて、じゃあ現実に落とし込んだ時にどうするのかというところが非常に難しいんです。例えばお釈迦さんの真意はどこなんだろうかと常に考えてはいます。

疑問を持って生きるということこそが仏教に近づく一歩なのかなと思っています。よりよく生きるためにはどうすればいいのかということを考えているのが仏教者ではないかと思います。

一神教では良いこと悪いことははっきりとしているのですが、仏教は中道と言われています。善悪の区別がわかりにくいんですね。これを一番解りやすく表している質問で、仏教的に一番美味しい食事はなんでしょう?というものがあるのですが、なんだと思いますか?

ーーーお米ですかね。

これはお腹が減った時に食べる食事なんですね。なので逆に一番おいしくない食事というのは、もうこれ以上食べられないと感じている時に無理に食べさせられる食事かもしれませんね。これが中道の難しいところで、同じ食べるという行動でも相対的な判断が必要とされます。
基本的には「
小欲知足」で行くのがいいんでしょうけど、単純にこれが良いこれが悪いといえないので非常に難しいところです。絶対こうだよということを示すことではなくて、縁あるすべてと共に生きるということが仏教なんだと思います。

ーーーお坊さんをしている上で大切にしている考え方はありますか?

仏教を表す言葉に「慈悲」というものがあるんです。これは「共に笑い共に泣く」ということなんですね。「慈」という字は共に喜ぶということなんです。普段の生活では他人の成功は嫉ましく思えることもあるかもしれません、しかしそうじゃなくて一緒に喜んであげようよというのが仏教の考え方です。それによってみんながハッピーになれます。妬みがあるとどうしたってみんなハッピーにはなれないじゃないですか。これが仏教の第一歩だと思います。「悲」というのは共に悲しむということなんです。他人が失敗した時に他人の失敗は蜜の味っていうように喜んでしまいそうになりますが、そうではなくて何かしてあげられることはないかなと思えることが大切です。そういうことを共に寄り添って考えて行動することが仏教者のあり方だと思います。

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植田さんは勤め先で感じた違和感を自分の持てる縁の力によって変えようとした。

そんな植田さんの挑戦もまだまだ道半ばにあるという。

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仏教の恋愛観って?

ーーー同性愛についてはどう思いますか?

キリスト教では「産めよ、増やせよ」で産めないから同性愛はダメなのかなと僕は理解しています。仏教では子供産まなければ人間としての価値がないという話はどこにもないので、お互いに慈悲の心で接することができればいいんじゃないかと思っています。

ただ恋愛自体が煩悩につながることがありますが、煩悩は良くないです。生き過ぎた欲望は仏教的にはダメで、中道であるということが大切です。中道を見つけることは非常に難しいことですが。

そういう意味でいうと、恋愛問題は同性か異性かというより、恋愛として行き過ぎた煩悩が生じているかどうかのほうがフォーカスすべき点なのかなと思います。

ーーー仏教者として勧める恋愛相手とかはいますか?イスラムではいい相手に関する項目がコーランに書かれていたのですが。

そういうのは特にないですね。恋愛してもしなくてもどっちでもいいと思っています。もし結婚しなければならないのであれば、昔のお坊さんは基本的に結婚しないので、お坊さんは成仏できないのかということになってしまう。しかし逆に結婚したらダメなのかというと、在家の方で結婚している人成仏できないのかという話になってしまう。なので仏教という宗教自体がそもそもあまり結婚ということを前提にしていないと思います。戒律を守り修行の一環として結婚しない人はいますが、仏教の最終目標である成仏、すなわち仏になるということと結婚しているかどうかはまた違う話だと思います。

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仏教いうのは非常に寛容な宗教であるという印象だ。

中道であることだけが仏教では求められている。

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みんなでハッピーに

ーーー働くということはどういうことだと思いますか?

働くということは人を助けるということの延長にあるのかなと思っています。

だからといって、働いてない人仏教的に価値がないのかというとそうではないです。労働の義務を果たしていなくても生きているだけで価値があるので。

ただ人々をよりハッピーにさせるために労働することはいいことなんじゃないでしょうか。

ーーー人をハッピーにするためにまた生きていく上でお金は必要だと思うんですけど、必要以上にお金を持つことに関してどう思いますか?

あまりよくないと思います。小欲知足という言葉があるんですけど、足るを知るということが大切だと思います。例えば、一日の生活が500円で十分幸せな生活を送れる人もいるかもしれないですし、自給自足されている農家の方だと食べ物はそれで賄うこともできる。僕の住んでいた能勢でもたまにご近所の方が作りすぎた野菜を持ってきてくれたりする。そういう交換が行われている時にはそんなにお金が必要ではないと思います。

しかし、家が壊れるかもしれないなどのリスクに備えるお金はやはり必要なので、いくらが適正なのかはなんとも言えないです。例えば大企業になると小さな国の国家予算ぐらいの金額を持っているわけですけど、多くの社員を養っていくためにそのお金は必要だと思います。

それこそ中道が難しいところで、その人のスケール感によって必要な金額は変わってきます。

ーーーお金はどう使うべきだと思いますか?

一番難しいところですが、自分も含めてみんながハッピーになれるように使われるのが一番いいと思います。じゃあどうすればいいのと言われると難しいですが。

手前味噌ですが、能勢妙見山というお寺は行基さんが作られたといわれています。では行基さんが一人でお金をだして作ったのかというとそうではなく、行基さんの手法は「知識結(ちしきゆい)」といわれ、今風にいうとキュレーターの役割をしてくれたんですね。みんなの知識や技術を少しずつ集めて、それを元手にみんながビジネスベースで協力できる体制をつくり、お寺づくりやまちづくりなどの大きな事業を行っていったといわれています。同じようにみんなが幸せになりながら能勢妙見山や周辺の街は作られていったのではないでしょうか

このようにお金みんながハッピーになるように運用していくことが大切だと思います。全国的に行基さんのおかげで何百年も続いている街並みや灌漑事業などがあり、そういった事業は時代を超えてハッピーになれるんです。そういうあり方が理想ですね。

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皆がハッピーになる社会を作る。

ただその幸せの形も人によって違ってきそうだ。

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仏教における死後の世界ってどんなもの?

ーーー死後の世界についてどういうふうに考えていますか。

比べてみて初めて知ったのですが、仏教の死後の世界についての考え方はキリスト教と全然違いますね。キリスト教は生きている時が全てなんです。生きている時の行いで天国に行くのか地獄に行くのかが決まります。

それに対して仏教では死んだ後でもその人の世界は変わりうるんです。仏教はその人のためにお経をむことによってその人の行いに良い功徳を上乗せすることができるので、次にその人が生まれ変わった時に前より良い生活をさせてあげられる。

バラモン教の当時から続いている輪廻転生という考え方があるんですけど、仏教もそれを下敷きにしていて日本人の死生観はあると思うんです。

ただ厳密にはお釈迦さんが死後の世界について言及した記述はどこにもないんです。死後の世界についてお釈迦さんにお弟子さんが聞いた時に、今苦しみから離れる事と死後の世界を知ることは全然関係ないと言われたという話があるんです。

ただお釈迦さんの生きていた世界、古代インドにおいても生まれ変わりという概念はあって、古代インドの生まれ変わりの考え方のアンチテーゼとして生まれてきたのが仏教ではないでしょうか。

その前のバラモン教の死生観はカースト制度が下敷きにあって、生まれ変わってもそのカーストから変わらないというものでした。例えば王様は生まれ変わっても王様になるんです。窓拭きの人は生まれ変わっても窓拭きです。

ただ仏教は、生まれ変わったらカーストは変わりうるのではないか考えるんです。例えば善行を積んできた人は上の階層になるかもしれないけど、悪いことばかりしてきた人は下の階層になっているかもしれない。それに加えてカーストが生きている間も固定化せずに、ずっと変化し続けるものなんじゃないかとも考えられています。諸行無常という言葉を聞いたことがあると思うんですが、一瞬一瞬人間って違うよねというのが諸行無常なんです。例えば常に自分の心が仏になっている時もあるし、悪魔みたいに悪い時もあると思います。その心をコントロールしていこうというのが仏教なんです。基本的にはいいことをすると次の人生を前の人生よりもいいステージから始められると考えられています。

また仏教は仏になることが最終目標なので、仏様の非常に近いところで人生を始められるということはすごくいいことなんです。これが日本仏教の基本的な考え方ですね。亡くられた方がそこに行けるように、死んでからもみんなで集まって何回も法事するじゃないですか。あれは閻魔大王様が浄土に行けるのかそれとも地獄に落ちるのか判断するまでの間みんなでお経を読んで、上の階層に行けるようにしてあげようよということなんです。ある程度行き先が決まった後、50回忌になってもお経を読むというのはその人に対して功徳を送ってあげる。幸せになってほしいなという自分たちの気持ちを伝えるためにやっているということなんです。

ーーー何回忌まであるんですか?

だいたい50回忌までですね。50回忌までやれるということはそれだけその家が栄えているということなので、それだけですごくいいことだと思います。逆に悲しい感じではくて楽しい感じになると思います。めでたいなぁという。
ーーー今日本の仏教には主に悪いことをすると地獄に落ちるという死後の世界のイメージが出来上がっていると思っているんですが、どうしてそういう風になったと思いますか?

キリスト教でもそうなんですけど、仏教の場合でもこのままやっていると「地獄に落ちるよ」という恐怖心を煽る言い方ができます。みんな地獄に落ちたくないから宗教を守ろうとするという側面が多分にあると思います。

私の知人にイタリア人のお坊さんがいるんですが、キリスト教は基本的に他の宗教を信じると非常に悪いことが起きるという考えがあって、彼は初めてお経を唱えた時に、自分にも悪いことが起きるのではないかと思い、お経を恐る恐る唱えたというんです。
おそらく恐怖によって欲望や生活を律するということはある程度有効だったんじゃないかと個人的には考えています。
たとえば、日本の地獄絵図は非常にリアルに書かれていますよね。あの時代の人の地獄のイメージはああいったものです。それに加えて昔は街灯などがない真っ暗な状態で、今より犯罪多かったといわれているので、今よりも地獄というものがもっと身近に感じられたのではないでしょうか。そのため「悪いことをしたら地獄に落ちるんだぞ」というのが一つの方便としてとても効果的だったのかなと思います。

お釈迦さん自体は死後の世界について語っていないんですが、日蓮聖人は、自分はどう死にたいかを考える事が大切だとおっしゃっています。死後を考えるというよりは、どう死にたいかを考えようとことなんです。今日どう生きるかということは、どう死にたいかに直結してくる。自分にとって本当に大事なものはなんだろうなということを考える一つのきっかけとして死を考えるということはアリかなと思います。お釈迦様がというよりは日蓮聖人はそのように考えられています。同じ日本仏教でもこれが浄土真宗だと、おそらく生前よりも死後浄土へ往生するところに力点がおかれて語られるのではないでしょうか。鎌倉時代に大地震が起きたとき、日蓮聖人と親鸞聖人の対応の違いがそのあたりにあらわれているように思います。

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同じ宗教の中でも考え方に違いがある。

悩み続けることこそが仏教。植田さんも常に中道を探る思索の中に生きている気がした。

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幸せってなんだろう

ーーー最後に植田さんにとって幸せと感じる瞬間はどういう時ですか?

日常的には幸せを感じる瞬間は多いです。例えば今でも僕の行ったことを理解してもらえることはとても幸せなことですし、掃除して綺麗になったら嬉しいなと思いますし。大きいことでいうと1000人集まるイベントを成功させたらやっぱり嬉しいなと思いますし。幸せな瞬間は多いと多いと思います。

ーーー100年前の人と今生きる人を比べた時に物質的な豊かさは向上しているけど幸福感が向上しているとは言えないと思うのですが、そういう意味で人間の幸せはなんだと思いますか?

文化が発達したからといって100年前の人と比べて不幸せになっているかというとそうではないと思っています。こういう話は100年前の方が幸せだったから戻していこうよというになることが多いと思うのですが僕は今が幸せだったらいいんじゃないかなと思っています。それによって地球環境に負荷がかかる幸せ、持続可能じゃない幸せに関しては別のベクトルに変えていく必要があると思います。

ただ物質的な豊かさと幸福感を同列で語るの少し違うのではないかと思います。今は今で幸せを見つければいいのではないでしょうか

ーーー仏教的な幸せは何ですか?

一言で言えば「慈悲」の世界しょうか。お互いに喜んだり悲しんだりして、安心感を得られるということは幸せなんじゃないかと思います。言葉にしてしまうと月並みな感じになってしまいますが。人と人とのつながりや安心感が幸せの基本かなと思います。仏教では全てが「縁」でつながっていると考えますので、人と人だけではなく他の生物や物も含めて世界規模でお互いが自分ごととして慈悲の心で接することができる、そんな世界がきっと仏教者が目指すべき世界なのではないでしょうか。

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仏教では中道であるという生き方が大切で、そう生きることによってみんながハッピーになると信じている。みんなというのは生きている人だけではない。

仏教は僕たちには最も身近な宗教だろう。しかし本当にそうだろうか。慣れきってしまうことによって知ることに対して鈍感になってはいなかっただろうか。普段語り合うことのない仏教者との対談でわかることは多くあった。

人に寄り添い悩み続けることこそが仏教、そのあり方は私に大きな指針を与えてくれた。

このインタビューがあなたと社会をつなげる一助になれば幸いである。

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最後になりましたが、インタビューを受けていただいた植田観肇さんありがとうございました。

※このインタビューはあくまで個人のインタビューであり、仏教を代表するものではありません。

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seizee編集部

seizee編集部

投稿者の過去記事

当メディア『SeiZee』の編集部です。
「読んだらちょっと、考えちゃう」をテーマに記事発信しています。

昨年末から、モスク、競馬場などへのインタビューに力を入れています。

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