【まさか】「広すぎるおでこ」から学ぶ、微積を生んだ帰納演繹法

類聚=同じ性質・種類のものを集める

前回少し平安時代の話をしましたが、平安時代の古典には「○○類聚」と題したものが多く存在します。
類聚(るいじゅ)とは、同じ性質・種類のものを集めることを意味します。
たとえば、枕草子の有名な一説「春はあけぼの・・・」も、作者・清少納言の美的感覚で「をかし」な物事を集めた類聚であるといえます。
そして現代でも、世の中の情報は「類聚」であふれているといっていいでしょう。さらに、靴を靴箱に置く、食器を食器棚にしまう、同年代・同地域・同業の人と同じ学校・職場に通うなどといった私たちの生活は、もはやそのものが類聚であるとみなすこともできます。問いを深めれば、およそ人間の一切の知的活動(学問も含め)は、「森羅万象から共通項をくくりだし自らの理解の範疇に収める」という点において、類聚の一側面を垣間見ることである、と言うことすらできるかもしれません。
今回はそんな類聚について、僕なりの「少し新しい類聚」を皆さんに提案してみたいと思います。



「日本のヤクザ100人」から見る類聚①(手段=目的)

先日、本屋で『日本のヤクザ100人』(宝島社)という本を興味本位で買ってみました。
ヤクザの親分
100人の壮絶な人生が、いかつい顔写真つきで解説されています。まさに「類聚本」と呼べるでしょう。内容自体はとても面白く、今読んでいる途中なのですが、この本の類聚に関して少し考えたことがあります。
それは、「類聚」の手段と目的が同一であるということです。
つまり、「日本のヤクザ」を
100人類聚して、「日本のヤクザ」について解説しているということです。この手の類聚は世の中に非常に多いことはすぐに想像できるでしょう。たとえば「サッカー選手特集本」や「料理のレシピ本」などの内容はサッカーと料理に決まっているでしょう。上述のように類聚は生活のあらゆるところで顔を出すので、このような本は非常に便利で有益であるといえます。これを類聚①と呼んでみます。

類聚①の例:日本のヤクザ100人(宝島社)

 

人類史上の多くの功績を生んできた類聚②(手段‡目的)

ただ、ここで言いたいのは、類聚とはプロセスなので、その手段と目的が異なっていても類聚は成立するということです。
上記の例で言えば、サッカー選手を集めて好きな料理をたずねたり、逆に特定の料理が好きなサッカー選手を探したりする類聚も成立します。(意味があるか否かは置いておきます)これを類聚②と呼んでみます。

 

類聚①はもちろん便利なものですが、ひとつのものに注目し続けることは、ときとして視野を狭めてしまいます。私たちは普段もう少し類聚②を意識することで、思考の幅を広げることができるのではないでしょうか?思うに、人類史上の重要な功績の多くは、類聚②によってなされて来たともいえます。

 

例を挙げてみましょう。17世紀のヨーロッパで、ニュートンとライプニッツは、幾何学上の「面積」と「接線」には深いつながりがあり、加法と減法のように互いに逆の関係を成していることを解明しました。数学でもっとも重要な分野の一つである微分積分学は、この、一見何の関係もないようにみえる2つのつながりが発見されることにより誕生しています。さらにこの「手段・目的の異なる」類聚②は、全学問におけるもっとも基本的な方法論である、帰納・演繹とも親和的であることも注目に値すると思います。
この手の類聚は、異なるものから一つの共通点を見出したり、共通のものから違いを見出し異なる結論を導いたりすることができるということです。

 

 

楽しくわかる類聚②「広すぎるおでこたち」

漠然とした話を続けても仕方がないので、類聚②を使った例を僕から一つ提示し、皆さんに楽しみながら体験していただきたいと思います。そして今回、僕がチョイスした類聚の「手段」は、「おでこの広さ」になります。世界中の有名人を、全く新しい「おでこの広さ」という基準から選出し(世界初であるかもしれません)、おでこではなくその個々人の活躍(もちろん分野は様々です)にフォーカスしてみたいと考えています。(おでこについても多少言及します)

類聚についての抽象的な話が長くなってしまいましたが、以上の1500字を超える類聚の考察は、すべて「おでこの大きい人」を特集するための理論武装にすぎなかったということです。それでは、みなさんを素晴らしきおでこの世界へとご案内しましょう。

 

 

“The widest foreheads in the world”

※おでこランクは一般人の平均をFとして算出しています。

 

おでこランク:D
ノラ・ジョーンズ(1979~)

分野:シンガーソングライター

出身:アメリカ合衆国 ニューヨーク

インドでもっとも有名な音楽家の一人と言われるシタール奏者ラヴィ・シャンカルの子として生まれる。第45回グラミー賞を総なめにした実力派。ジャズに、他の様々なジャンルの要素を取り込んだ独特のサウンドが特徴。音楽だけでなくその美しい容姿も人気の要因だが、おでこがやや大きい。
デビューアルバム“
Come Away With Me”は累計2300万枚を売り上げるメガヒットとなったが、そのジャケットでは写真上部をカットし、おでこをごまかすという愚行を犯した。(写真2枚目)さらに201610月リリースのニューアルバム“Day Breaks”では、あからさまに手で隠すという奇行に走り、実質的におでこの広さを自ら認めることとなった。(写真1枚目)

【おでこランク:C 】
ペイトン・マニング(1976~)

分野:アメリカンフットボール選手

出身:アメリカ合衆国 ニューオーリンズ

「史上最高のクォーターバック」と言われ、スーパーボウル二回優勝など華々しい経歴の持ち主。インディアナポリス・コルツやデンバー・ブロンコスでプレーした。プレー・おでこ共に人類最高クラス。NFLの歴代記録を数多く保持しているが、今までアメフトのヘルメットをどうやって装着していたのだろうか。

身長195cmだが、その大部分をおでこで稼いでいる。ちなみに、同じくNFLで活躍する弟、イーライ・マニングのおでこランクはE。(写真3枚目)

 

おでこランク:B
ジェルビーニョ(1987~)

分野:サッカー選手

出身:コートジボワール ラギューヌ州

サッカーコートジボワール代表。クラブではアーセナル、ローマなどで活躍したのち、現在は中国サッカー・スーパーリーグ・河北華夏幸福所属。ペイトン・マニングとおでこ界現役最強を争っているが、おでこを隠さずにむしろ見せつけるようなヘアスタイルをとるという強心臓を評価し、今回は彼に軍配を上げた。非常に足の速い選手としても有名であり、最速のサッカー選手の一人としていつも名前が挙がる。本人も「僕が思うに、ボールなしで競争したら、ウサイン・ボルトが勝つだろう。でも、僕らの前にボールがあれば、僕が勝つよ」と自信のコメントを発している。なお、「ヘアスタイルのせいでおでこが広く見えているだけであり、これは実際にはおでこではなくあたまである」という指摘は、ここでは深く追求しないこととする。

【おでこランク:A】
パキケファロサウルス(白亜紀後期)

 

分野:恐竜

出身:北アメリカ大陸西部

体長48m。「パキケファロ」という名前がそもそも「分厚い頭」を意味する、生粋のおでこ職人。その名のとおりおでこは広いだけでなく、頭蓋骨の厚さは2530cmにも及ぶ。おでこをぶつけあうことで群れ内部での順位を決めていたといわれている。走るときに、長い尾でバランスをとる必要が生じるほどにおでこを発達させてしまったという変態性も兼ね備えている。まさにおでここそが彼らの生きがいであり、また人生そのものであった。

【おでこランク:S】
大村益次郎(1824~1869)

分野:政治家、兵学者

出身:日本 長州藩(現在の山口県山口市)

長州が生んだ天才軍略家であり、日本陸軍の基礎を築いた男。同時に、顔面の50%をおでこが占めるという、おでこ界のスーパースター

頭の中は頭の外側に正比例してスーパーハイスペックであったといわれ、どんな戦況でもその指示が外れることはなかった。数々の伝説を残し同僚に「鬼の如し」と言わしめたが、ビジュアル的に考えると鬼に失礼である。

性格は非常に真面目であったといわれており、数少ない趣味が豆腐を食べることというキモヲタであった。合理的な大村は、明治維新後武士の特権に反対し恨みを買い、京都に滞在中同じ長州藩の士族に襲われ重傷を負う。事件から二か月後、傷口から発症した敗血症により死亡。辞世の句は「君のため 捨つる命は 惜しからで ただ思わるる 国の行く末」。おでこもスケールもでかい真のスーパースターであった。

 

 

いかがでしたか?じつはおでこ特集をするにあたり、以上のような人文科学的検討だけでなく、おでこの面積を楕円や球面にモデル化して計算したり、おでこ表面の光学的な反射率を検証したりするなどの自然科学的検討も行いたかったのですが、自分にはそれだけの自然科学に関する素養と、おでこに対する情熱がないことに気づいてしまいました。

これは今後の課題としていきたいと思います。

 

追記:類聚③は観念できるか

「類聚③」は観念できるでしょうか。手段と目的の異同で類聚①と類聚②を分ける考えからは無理そうですが、類聚を「類聚前と類聚後」と分け、類聚そのものを純粋なプロセスへと拡大解釈すれば可能かもしれません。

ここでは、「フォーカスする事柄(以下「F」)を定めるか定めないか」に着目します。

類聚の前後両方でFを定めれば類聚①ということです。類聚②では類聚の前後どちらか一方でFを決めることになります。前で定めれば帰納、後で定めれば演繹のようになるでしょう。(あるいは逆ともいえるかもしれません)こう考えると、類聚③は前後いずれともFを定めないということになりそうです。しかし、これでは、「バラバラのものに注目して集めたもののバラバラの要素に注目する」ということになってしまい、本来類聚前・後の間にあるはずの、類聚というプロセスそのものが意味を成さなくなってしまっています。類聚の前後には因果関係が全くなくなってしまい、外形的にはもはや「類聚」ではありません。これを今までの意味での類聚と呼んでよいものかは微妙なところです。

 

  類聚前 類聚後
類聚① F○ F○
類聚② F○
F○
類聚③


こうみると、類聚は変数に対する関数のようにとらえなおすこともできそうです。この場合先ほども言及した帰納と演繹は、xとyどちらを変数ととらえるかという裏表の関係(逆関数)といえるでしょう。また逆に、関数から類聚を考えればより高次元の類聚が観念できる可能性もあります。たとえば、多変数関数が類聚ではどのような形となるのかなどは検討の余地がありそうです。類聚を関数と結びつけて考えれば、類聚④、⑤、⑥・・・と、次々に新しい類聚を発見できるかも知れません。

類聚③に関連して、物事の「因果関係」や「理由」について考えるとき、必ず頭に浮かぶのが、アルベール・カミュの小説『異邦人』のワンシーンです。
何事につけても淡白で悩んだりしない性格の主人公ムルソーは、あるとき殺人を犯して裁判にかけられます。殺人の動機を尋ねられた彼は『太陽が眩しかったから』と答えます。殺人の動機が自分でもわからず裁判が面倒になり、でっちあげともいえる形で発せられた言葉でした。
支離滅裂ともいえるこの発言ですが、「怒り」や「嫉妬」はたまた「金銭」などによる動機と、本質的に何が違うのかと問われれば答えるのは難しいのではないでしょうか。
「楽しいから本を読む」人がいます。それが正当な理由と思えるのに、「太陽が眩しかったから人を殺す」が支離滅裂だと思うのはなぜでしょうか?
もしかしたら、「人を殺しているから支離滅裂なのだ」という偏見が頭の片隅にあるのかもしれません。ここで問題となっているのは行為でなくその理由なので、「人を殺したから支離滅裂」は成立しないはずです。では「太陽が眩しかったから本を読む」と「楽しいから人を殺す」ではどうでしょうか。何が楽しいかは人それぞれです。

 

考えているうちに、論理や理性というものが想像以上に脆いものに思えてきます。あらゆることの因果関係というのは、私たちが普段考える以上に深遠なものなのかもしれません。

今回のポイントをまとめると次のようになります。

 

・類聚に関して思考をめぐらせてもとくにメリットはない

・ノラ・ジョーンズは自らの額の面積についてもっとオープンな姿勢をとるべきである

・ペイトン・マニングとジェルビーニョは、文字通り現代の「二大巨頭」である

・おでことあたまの区別は非常に困難である

・大村益次郎は恐竜をも凌駕する

・おでこが光るのは太陽が眩しいからである

 

Sekine Ryo

Sekine Ryo

投稿者の過去記事

1996年生れ、東京育ち、京都在住です。
琵琶湖疏水で釣りをしていることがあります。
最近の悩みは、イヤホンの先のゴムみたいなやつがしばしばとれることです。
Twitter: @sekkii1996

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