沖縄の米軍基地移設問題、20年間をまとめてみた

 戦後70年。耳にタコができるほど、多くのマスコミが取り上げています。20代が大半を占める大学生にとって、70年前のことと言われてもはあまり身近ではないかもしれません。しかし、2015年にはもうひとつの節目が隠れています。沖縄県の米軍基地移設に関する議論が始まってから、ちょうど20年を迎えるのです。

政府と県の溝、明らかに

沖縄県は第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約(1951年)によってアメリカ合衆国の施政権下に置かれました。1972年5月15日に日本へ復帰したものの、沖縄本島の19.3%が米軍基地に占められ、日本国内の米軍専用施設面積の74%が沖縄県内に集中するなど、沖縄県と米軍基地との関係が重要な課題として残りました。

現在加熱しているのは、宜野湾市にある普天間基地の移設問題です。移設の議論が始まったきっかけは、20年前の1995年9月、県内に駐留していた米軍所属の3人が12歳の女子小学生を拉致監禁し、暴行を加えた事件でした。事件を受け、日米両政府は在沖米軍基地の整備縮小や統合の検討を始めました。翌年には代替施設の5~7年以内の運用開始をめどに、普天間基地の全面変化で合意し、名護市辺野古沿岸域に代替施設を建設する沖縄県側の提案に当時の名護市長も同意しました。

つまり、一度は辺野古への基地移設が決定していたのです。ところが、同意後に日本政府と沖縄県との溝が明らかになりました。県側が代替施設の受け入れ条件だった「15年の使用期限」を強く主張したのに対し、アメリカとの関係性を気にする当時の自民党政権は期限設定に否定的な立場を取り、議論は減速してしまいました。

 

民主政権で振り出しに

こう着状態に一石を投じたのは、04年8月に起きた、沖縄国際大学構内への米軍ヘリ墜落事故です。普天間基地への注目が再び高まり、日米両政府が06年に発表したロードマップでは、住宅地上空を回避する形で大浦湾から辺野古湾にかけて滑走路を結ぶ形を提案し、当時の名護市長も承認。修正が重なったものの、14年に代替施設建設という方針が固まりました。

しかし、当時支持率の急落していた自民党に代わり、鳩山由紀夫氏率いる民主党が09年に政権を獲得しました。鳩山政権は「普天間基地の県外・国外移設」を公約に掲げ辺野古移設案を撤回したものの、他の具体案は出せず、日米共同声明では移設先を結局「辺野古周辺」としました。県外移設を期待していた沖縄県側は、政権の迷走と説明不足に対して辺野古移設案の実現は事実上不可能という考えを示し、移設問題は振り出しに戻ってしまったのです。

12年に再び自民党が与党となり第2次安倍晋三内閣が発足すると政府は基地建設における公有水面である辺野古沿岸海域の埋立申請を沖縄県側へ提出しました。当時の仲井真弘多知事は年内に判断を示すとし、13年末に申請を承認しました。14年の県知事選で仲井真氏を破ったのは、出馬にあたって普天間基地の閉鎖撤去と辺野古移設の断念を求める認識を示した翁長雄志現知事でした。翁長知事は政府側との会見や米議員への訪問、埋立申請の承認取り消しなど、辺野古移設阻止のために奔走しています。

 

工事中断、行く末見えず

今年8月5日、菅官房長官は沖縄の米軍普天間基地の移設計画を巡る政府と沖縄県の対立解消を目指し、工事を1カ月間中断することについて、アメリカと密接に連携して対応していると説明しました。中断期間を利用してのまとまった議論が期待される一方、安保法案をめぐる支持率下落に歯止めをかけるための「ガス抜き」という見方もあり、先行きは不透明なままです。

14年9月、辺野古湾で移設反対の抗議に立っていた女性(62)は「今の政治は他の道筋を考えず、辺野古移設の結論ありきで物事を進めている。ここ(沖縄県)に暮らす人たちの声を無視する政治なんて信じられない」と、怒りをあらわにしました。近隣住民の根強い反対の声に加え、辺野古近海はジュゴンの貴重な生息域で、最近になって海中から文化遺産も発見されるなど、多くの財産を持つ海域です。日米関係を重視して辺野古の海を埋め立ててしまうのか、再び立ち止まって可能性を模索するのか。沖縄の米軍基地問題なしに、戦後70年をかたることはできません。

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