【あの議員に突撃!】民進党福山哲郎議員に聞いた、あれやこれ:前編

議員さんインタビュー企画第一弾!

今回は、民進党(インタビュー時は民主党)の福山哲郎議員にお話を伺ってきました。福山議員の異色の経歴や、ぶっちゃけ金儲けしてるんじゃないの、といった議員さんに対する社会のイメージの真相など、かなり攻めて質問させて頂きました。メディアでは政治やカネの問題が多く報道されており、政治や議員、の実情に対して懐疑的な方も多いかと思います。実際はどうなのか、本当に政治家さんに熱い志はないのか、ぜひ覗いてみてください。

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プロフィール

福山哲郎(ふくやまてつろう)。1962年1月19日生まれ。同志社大学法学部卒業後、大和証券に入社。その後退社し、松下政経塾に入塾、政治に携わることを志し始める。「新党さきがけ」から出馬するも、あえなく落選。その後京都を中心に支持を集め、98年に京都選挙区より初当選。民主党に入党し、環境問題を中心に活躍。鳩山内閣や菅内閣では政権の中核を担った。現民進党幹事長代理。今でも、政経塾時代の経験を生かし、自分の足で環境問題や貧困など、様々な社会問題の現場を見に行くことを大切にしている。

 

 

――今日はよろしくお願いします。

 

 

【政治家になりたいとは思っていなかった】

 

 

――ではまず、政治に関わろうと思い始めたのはいつだったか教えていただけますか?

 

福山議員(以降、福、と表記させていただきます):25歳ごろですね。つまり社会人になってからです。

 

――というと、大和証券に入社されてからですね。

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福:はい。大和証券を退社したのちに、一つ別の仕事を挟んでいたのですが、そのころに考え始めました。もともと政治に対して興味もあったので、ひとまず何らかの形で政治や社会に関わりたいなと、25歳ごろに思い始めたんです。ただ、松下政経塾への入塾を決めたものの、入塾時に志望を聞かれても「政治家」とは言っていませんでした。というのも、自分が政治家に向いているのか分からなかったですし、どちらかというと、誰か他の活発な人をサポートしたいというような気持ちだったんです。

 

【バイト漬けだった学生時代】

 

 

ーーそれでは、学生時代から何か活動をしていたという訳ではないんですね。

 

福:全くなかったですね。僕の家は貧乏だったので、高校のころからアルバイトをして学費は自分で出してましたから。大学に入ってからも、奨学金をもらいながらアルバイトをしていたので、ほとんどそればかりで、政治系の学生団体に参加するような余裕もなかったので、「政治!政治!」という感じではありませんでした。

 

ーーアルバイトっていうと、どんなことをされてたんですか?

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福:いろいろやりましたよ。高校時代からのアルバイトから挙げれば、ゴルフ場のキャディーとか、スーパーで売っているパックのお寿司を作るバイトとか。

 

ーーへええええ。あまり聞かないバイトです。

 

福:それから、イベント会場設営とか、家庭教師、塾の先生、予備校の事務、それから他になにがあったかな。とにかく、マイナーから王道まで、色んなバイトを経験しました。

 

ーー何かこのバイトは今の自分に生きてるな、と思うものはありましたか?

 

 

福:全てです。幾つものバイトの経験を通して、色んな層のお客さんの振る舞いを観察することができたし、対応する身としての礼儀もきちんと備わりました。それと、予備校のバイトでは、近隣の高校をまわって営業まがいのことも担当していたのですが、学生の身分ながらバイト以上の仕事をさせてもらえたのは財産です。

 

ーー仕事に向き合ってらっしゃったんですね。ただ、すごい時間と体力が必要になりそうです。

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↑街頭演説の様子。雨の日も欠かさない。

 

福:だからと言ってはあれですが、学生時代、実は勉強をあまりしていませんでした。本腰を入れて勉強をしたのは、松下政経塾の時代もそうですが、やはり何と言っても京都大学大学院に在籍していた時代で、この時は本当に凄まじかったです。

 

 

【恐るべき就活力、輝かしい商社マン時代】

 

ーー大和証券に入社した理由をお聞かせいただいてもいいですか?

 

福:大学2年次の時から、証券会社に行こうと思っていたんですよ。

 

ーーそれはなぜでしょうか?

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↑参議院外交防衛委員会で。

福:とにかく世界の経済の動きがわかるところに行きたかったんです。そういう意欲もあって、バイトの傍らで企業研究をやっていました。その延長といってはなんですが、就職活動の時期には、まわりの友達に就職活動のアドバイスをしたり、はたまた企業研究のアドバイスまですることもありましたね。

 

ーーすごいです。そんな友達が欲しいです。

 

福:色んな企業を概観してきていたので、どこに行くかについて悩みはしませんでした。もちろん、だからといって絞りすぎると視野が狭くなるので、色んな業界の先輩訪問などはしたんですけど、銀行・証券・商社と並べた時に、銀行の先輩が一番肌が合わなかったというか、雰囲気が合わなかったんですよね。金融にいきたいだけなら銀行でもよかったのですが、その感覚が決め手となって証券会社へ絞ることになりました。

 

ーーそれで大和証券に。

 

なんでトップシェアだった野村證券じゃないのかって言われると不思議なんですけど、それは民主党を選んだのと似てるかもしれませんね。自民党じゃなくて(笑)

 

ーーおもしろい傾向ですね。

福:僕は巨人ファンじゃなくて阪神ファンだしね笑。僕は王道に組み込まれるよりそのライバルとして努力する方が好きなのかもしれません。

 

ーー大和証券が、第一志望の会社だったということですが、その第一志望の会社に入社したのに数年後退社されたのには、どのような理由があったんですか?

 

福:大和証券に入社できた時は、そりゃあもう嬉しかったです。そこで誰よりも一生懸命働いたと思います。結果から見ると、当時の大和証券の新人営業記録を塗り替えたり、入社2年目にもかかわらず、業績が全国の営業マンの中で10位以内にしょっちゅう入るほどには、人一倍努力しました。当時は、仕事がおもしろく、朝から晩まで仕事をしていたので、すごく充実していました。だから、大和証券で数年間働けたことは、僕にとって最高の経験で、本当に感謝していますし、ここでの同期との付き合いは今でも大事にしています。でも当時は、他にも道があるのでは、と思って退社しました。

 

ーー当時、退社後の不安はありませんでしたか。

 

福:もちろんありました。大和証券に入社したときは親も喜んでくれましたし、自分としても仕事が楽しく充実していましたからね。仕事がきつかったとしても、そこで頑張っていれば、運よくそのまま上場企業の一企業人として生きていけるかもしれないわけです。なので、あえて退社をして心地のよい環境から離れることはかなり勇気がいることでした。先々のこともはっきりしていませんでしたから。

 

 

ーー退社、という大きな決断に後悔はありますか。

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↑後援会事務所事務所開きにて。

福:ありません。というのも、退社した時から「絶対にそれだけはしない」と決めているんです。なぜかというと、例えば5年間、大和証券を辞めてから何かをやったとします。もし、「あの時大和証券を辞めなければよかった」とこの時に思ったとしたら、この5年間自分がやってきたことを全部否定することになりますよね。10年経ってから同じことを思ったら、その10年間の人生を全部否定することになるわけです。それだけは絶対にしたくありませんでした。なので後悔はしていませんし、これからもすることはありません。僕は、大和証券での数年間を最高の糧としています。

 

【政経塾での学び、作られた「思い」】

 

ーー政経塾ではどのようなことを学ばれたんですか。

 

福:それはもう多岐にわたりましたね。世の中には、人類とか地球規模の課題が山積していることを知り、今までの自分の視野がいかに狭かったかを痛感しました。社会人を経験してからそのような場所に行ったこともあり、より多くのことを実感を伴った形で吸収できたと思っています。政経塾では私に多くの問題意識を持たせてくれた多くの人との出会いがありました。

 

 

ーー特に印象に残っている学びはありますか。

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↑1992年にリオで行われた地球環境サミットの様子。

福:やはり、一番は環境問題です。僕が政経塾に行くか行かないかくらいの時に、にブラジルのリオで開かれた地球環境サミットで、地球温暖化も含めて人類の将来が議論されていたんです。それをきっかけとして、興味を持つようになりました。その後、環境問題を切り口として現地・現場を見て、様々な貢献をしたいという思いが問題意識としてかなり高まっていきました。

 

ーー数ある課題の中から環境問題に心動かされたのはどうしてですか。

 

福:環境問題っていうのは誰がどこで解決してくれるか分からない、というのがあります。というのも、ここには2つの大きな壁があるんです。一つは時間軸の壁で、50年後の環境破壊のためにみんな一生懸命やれといっても、イメージが湧きにくいことが行動にあたってのネックになります。そしてもう一つ、空間の壁というのもあって、地球のどこかの温暖化の問題とか洪水の問題に対しては、今日本にいる僕らには不都合がないのに、どうすればいいのかって考えるのはやっぱり難しい話なわけです。みんな、まず毎日の生活が大変なんですから。だから、先のことまで考えて環境問題の解決に取り組めるのは政治しかないと思ったんです。

 

 

 

ーー政経塾時代、環境問題解決に向けて何かされていたんですか。

 

福:実際に現地現場を見て、歩いたというのが政経塾時代でしたね。例えば、知り合いの農家のトラックに乗って、牛乳パックの回収運動をして、そこで出してくれた牛乳パックを静岡県の製糸会社に持って行って、その牛乳パックをトイレットペーパーにしてもらって。その牛乳パックを出してくれた人達に、これがあなたから回収した牛乳パックですよって渡して、こんな風にリサイクル出来るんですよって言って回るとか、そんな地道なことをやっていました。

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--他にも、何か印象に残った経験はありますか。

 

福:他にも、スリランカの内戦のさなかの農村に入って、水道もないところに行ってトイレを作ったり、孤児院を見に行ったりしましたね。そこでスリランカの社会運動に参加したりもしました。その運動のリーダーがノーベル平和賞の候補に挙がっているような方で、その方に環境問題や南北問題など、世界の貧しさとはどういうものかについて教えてもらいました。この方との出会いで、現場に入ることの大切さをより実感しましたね。

 

ーーそのころから、政治家を志していたんですか。

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↑大原江文神社の大祭で。

福:実はこのころも政治家にはなりたいとはっきり自覚していたわけではなくて。はっきりと自覚し始めたのは、1995年に阪神淡路大震災やオウム真理教の事件があったころです。ちょうどそのころに新党さきがけという政党から、福山さん出ませんかという声かけがあったんです。新党さきがけっていうのは環境問題や核実験の題、財政赤字などの問題を、ちゃんと党の基本政策に入れていた珍しい政党なんですよね。そういう、「場当たり的な政治ではなく、先の将来のことをちゃんと考えた政治をしなくちゃいけない」という考えを持っていたさきがけという政党は、僕から見れば、非常に志の高い政党でした。ですから、そこから声かけをいただいた時にやっと真剣に考えだしたんです。

 

前編は福山議員の大学時代から政治家を志すまでを覗くことができました。

後編は政治家としてのやりがいや議員さんに対する社会のイメージの真相に切り込んでいきます。

 

後編はこちら

 

露わになる彼の政治家像をお楽しみに。

 

※本人写真は福山哲郎議員公式HPより抜粋

(このインタビューは2016年2月27日に行われたものです)

seizee編集部

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当メディア『SeiZee』の編集部です。
「読んだらちょっと、考えちゃう」をテーマに記事発信しています。

昨年末から、モスク、競馬場などへのインタビューに力を入れています。

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