閖上で知った、5年目のいま僕らに必要なこと

2011年3月11日の東日本大震災から、5年がたちました。
震災によって亡くなられたすべての方々に哀悼の意を表し、ご遺族や被災された方々の健康、いちはやい復興を祈念いたします。

 

 

5年の「節目」 被災地での変化確かめに

5年、10年などの年数は、よく「節目」として扱われます。
昨年は阪神淡路大震災から20年にあたり、多くのメディアで「20年の節目」という見出しがおどりました。

今年の3月10日、会見を行った安倍晋三首相は今後5年間を「復興・創成期間」と位置づける方針を示しました。
「節目」の言葉こそ使わなかったものの、復興支援のアピールや2020年の東京オリンピックを意識し、ひとつの区切りをつけたかったのでしょう。

しかし、肝心の被災地では、5年の「節目」を迎えて何か変化はあったのでしょうか。津波で大きな被害を受けた閖上(宮城県名取市)へ、確かめに行ってきました。

解体が決まっている閖上中学校の校舎。付近はすでに立ち入り禁止になっていた2016年3月11日撮影)

解体が決まっている閖上中学校の校舎。付近はすでに立ち入り禁止になっていた(2016年3月11日撮影)

 

 

訪れて3年目 閖上に変化が

閖上は、2011年2月時点で約5612人が暮らしていましたが、震災と津波によって町の大部分が更地と化しました。
現在も家屋再建は進まず、住民は戻って来れていません。

僕が閖上を訪れるのは、今年で3年目です。昨年までは仮設住宅に暮らす人々に話を聞き、進まぬ復興に複雑な思いを抱くばかりでした。

しかし、今年は大きく変わった点があります。港に、漁船と漁師の人々が戻ってきていたのです。

 

 

漁師に聞いた 「戻ってくるつもりはなかった」

閖上はもともと、名取川の河口に面する外洋港です。
日本一の生産量を誇る赤貝をはじめとする海の幸に恵まれた町でしたが、津波によって港や漁船、堤防が壊され、沿岸部に近づくこともできない状態に。
漁業はいったん諦めざるをえない状況になりました。

さらなる被害を防ぐために、行政が優先したのは堤防の復旧と護岸工事。
2014年末には工程を終え、漁港としての機能が戻りました。しかし、昨年3月、港に漁船の姿は見えませんでした。
漁師の人々は、なぜ閖上に戻ってこれなかったのでしょうか。

震災以前に閖上近海で漁業を営んでいた福元武一さんは、港が復旧しても閖上に戻るつもりはなかったといいます。
「あれほどなじみ深かった青い海が、真っ黒になって押し寄せるのを見た。たくさんの人が流され、いまも行方知れずの友人がいる。誰を恨むこともできず、海を憎むしかなかった」

閖上を襲った津波は、沿岸部で15メートルの高さにまで達したとも言われます。
人々が日ごろ親しんでいた海は、突如牙を剥きました。閖上地区だけで約800人が亡くなり、その地で暮らした全ての人々に、消えない傷を残したのです。

再び港に並ぶ漁船。奥にはかさ上げ工事を続ける重機が見える。(同)

再び港に並ぶ漁船。奥にはかさ上げ工事を続ける重機が見える。(同)

 

 

憎しみを乗り越えた一歩 再び閖上の海へ

しかし、福元さんは昨年末、閖上に戻ってきました。

きっかけは、毎週日曜・祝日に開かれる閖上朝市に足を運んだことです。

「いまも苦しんでいるはずの人々が、朝市では笑い合いながら大声を飛ばしていた。町はなくなったのに、笑顔は以前と何も変わらなかった。船や家を津波で流されても、自分の心まで流されちゃダメだ」

家族を亡くした人、間一髪で津波から逃れた人、今なお仮設住宅で暮らす人。
多くの困難を抱えながらも、その困難に笑顔で向き合う人々の姿がありました。

福元さんは、再び閖上の海に出ることを決めました。
「急ごしらえの船で出てみると、以前と変わらない真っ青な海が広がっていた。戻ってくるのに4年もかかってしまったが、後悔はない。もう一度、ここから始めればいい」

堤防に立つ福元さん。漁師として、もう一度この海に向き合う。

堤防に立つ福元さん。漁師として、もう一度この海に向き合う。(同)

 

 

どうせやすやすとは進まないから、しっかり振り返って考える

最後に、5年の「節目」をどう考えるか話してくれました。そのまま書きます。

「一度は海を恨み憎んだが、昔は変えられないんだから、自分の気持ちを変えるしかなかった。
津波の記憶を忘れるのではなく、それを糧にしてもう一度、海と向き合わなくてはいけない。
でも、焦っちゃいけない。
気負わず、けじめをつけることができる時を待てばいい。

原発の問題とか、やすやすと結論を出せないことはたくさんある。
どうせやすやすとは進まないなら、賛成だろうが反対だろうが急がずにしっかり考えればいい。
考えながら、結論を出せるときを待てばいい。それが最初の一歩になる。

5年たったら変わることもあれば5年たっても変わらないこともある。
節目とは言えないけれど、5年の歳月を振り返ることが将来の糧になればそれでいいし、一歩の後押しになればそれ以上望むことはない」

 

 

急がず焦らず 5年を糧に次の一歩へ

復興は日本全体の一大プロジェクトです。
道すがら多くの課題に直面し、その度に迅速な対応を求められます。
もちろん、理想的なのは課題をすぐさま解決することです。
しかし、どうせやすやすとは進みません。
それなら、一度立ち止まって、これまでの5年間をゆっくり振り返ってみてもいいかもしれません。

この5年間、僕たちは少し焦りすぎてはいなかったでしょうか。
震災が日本全体に残した傷跡を早く慰めたいがために、人々の心と健康な暮らしという最も優先すべきものをおろそかにしていなかったでしょうか。
この5年間に区切りをつけ、次の5年間を復興の仕上げに据えるのは、少し急ぎすぎてはいないでしょうか。

5年を「節目」とするなら、この5年間で何を失い何を取り戻すことができたのか、まずしっかり考えましょう。
次の一歩を踏み出すのは、それからでも決して遅くはないはずです。

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