中立の人たちって生きた屍でしょ

1.もういやだ!

普段、ライターをやっている、あるいは「わかものと政治をつなぐ」活動をやっていた関係で色々な社会貢献ー個人的には、社会貢献という言い方に違和感がありますがーをやっている人たちと会います。彼らが自らのミッション(活動目的)のために動いていることに、私は心から敬服を示し、賞賛を送りたいと思っています。しかし、そんな彼らとその問題の現実に関して話してみようと思うと、なかなかどうして議論になりません。

 

2.活動家たちって…

自らの活動のための方法論を聞くといくつか教えてくれますが、では現実の社会を話そうかとなると口を閉ざす傾向は高い。例えば、どうやったら投票率をあげられるかを聞くといくつかの手段を考えているが、こと「なぜ投票率をあげなければいけないのか」に関しては考えた形跡が驚くことになかったりするのです。投票率を上げる理由として、私は小難しく言うと、義務論・信頼論・権利論があると考えています。しかしいずれを取っても、「投票が義務なんて気持ち悪い」とか、「誰からの信頼か分からないしそもそもあるのかさえ分からないし、投票しなくてもいいでしょ」あるいは「権利なんだから行使しなくてもいいでしょ」と直感的に正しい反論が可能だし、これらの主張はどれも確からしい。

 

3.この人ら頭使ってる?

そして極めて重要な点は、「投票しましょう!」活動をしている人は義務論的な立場を、投票しない人は権利論的立場を取っていることが多いということです。つまり、「権利なんだから投票しなくてもいいでしょ」という人に対して「権利なんだから投票しましょう」と言ったって、土台通じない話ではないでしょうか。互いが互いに対するカウンター・アーギュメントなんですから。それに義務論を取っている人に聞きたいのですが、あなたがアメリカ人だったら「革命権(抵抗権)は権利なんだから、行使しなきゃ!」って言いますか? 考えてみれば、投票は平和的革命権とも言えるわけですし、革命へのアプローチが違うに過ぎないのです。これの決定的な差は何でしょうか。

 

権利論の人へは、世襲職業(歌舞伎など伝統芸能や、ひょっとしたら政治も入るかもしれない)につく人々はなぜ職業選択の自由の存在にも関わらず家業を継ぐのでしょうか? と聞きたいものです。「いやいやその人たちは最終的に自分で決めてるんだ」と応答してくるでしょうけれども、「自由」の定義から考えてもらう必要がありそうです。このような事を考えて、迷宮入りしているため私は今までに「投票しましょう活動」をしたことがありません。もちろん「投票ってしたほうがいいよな〜」とは考えています。

 

さて、ここで何を言いたいかというと、「なぜ投票するか」に対して、「投票したほうがいい」という返答する人たちは問に対する応答をまともにできない。これは決定的に「思考」が不足しているせいだと悲しいですが感じています。どうか分かってください、私は皆さんの活動を否定したいわけではないのです。ここで言いたいことは、こういった所で思考力をつけておかないとあなたの個的人格は死ぬということです。

 

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4.んじゃ、わたしはどうなんだい

私は、「わかものと政治をつなぐ」をメインの活動の場としていたし、あるいは全てのひとが自らの「生の物語」(生きてきた経験)を背負って共に語り合う「公的領域づくり」をメインの活動の場としています。ここでは、おもしろいほど多様な考えに出会います。それに話している中で、「君はどうおもうのよ」と振られることが往々にしてあります。その時に「中立なので」といとも簡単に逃げることができます。それ故に、多くがそう言って遁走する。その度に「いやいや…」と感じてしまう。「中立なので〜」で逃げるのは思考していないのではないか、と。私はそういった対応はしない。先ほどの投票の話をしている時ならば、義務論を言う人には権利論を投げるし、もし義務論・権利論を語っている人がいたら信頼論を投げる。「こういった考え方もありますよね。これに関してはどう思います?」と。私、これ中立ですよね? え? 違いますか? なら中立ってなんなんですか。厄介な概念ですね…。投票の議論のようなことを考えていなければ、このような応答はできません。だって思考力がないから。

 

私は、よく安全保障関連法に関して質問を受けます。「あれは違憲だよな! あれはダメだろ!?」と言った形のものです。それに対し、「国際政治上は妥当な対策と考える向きもあるようです」とか「法文というのはそれだけではただの紙キレです。法において重要なのは、それを”どのように運用するか”ではないでしょうか。つまり、あの法を憲法の範囲内でどのように規定していくかが重要ではないでしょうか。悪法を運用側の不断の努力で死文化させることも可能ですし」と返答してきたし、「安全保障関連法は必要だよな!?」と聞かれれば、「法というものは、その法自体だけでは機能しません。そこに運用者がいてこそです。いままで、「集団的自衛権は行使できない」と言ってきた運用者が、「集団的自衛権は行使できる」とコロッと立場を変えたことをどのように考えるべきでしょうか。安全保障関連法が必要だとして、どのように運用するか、しっかり考えねばなりません。」といった風に返答してきた。私は中立の立場からコメントをしつづけてきたといえないでしょうか。

 

5.まとめ

 

「投票はしなくちゃいけないんだ」と言っている人、もっと敷衍すれば、なんらかの目的のために活動している人たちは自分たちの問題意識とそこに存在する規範(「〜すべきだ」という考え方)を信じて疑わない。これはおかしいじゃないか。社会って多様な人が作り出すものなのに、一つの答えがあるなんて。だからこそ「なぜなのか」という根源的な問を常に自分自身もしくは仲間同士で投げて考えなければならないのではないか。そうしないと中身が空っぽな人間になってしまうから。学生団体にいる人はとくにだが「それで何を手にいれたの?」と聞かれた時に、「生涯の財産、思考力だよ」と言えたらカッコイイでしょ。まあ、だからみなさんしっかりいろいろ考えてください、ということです。老婆心たくましくこんなに書いてごめんなさい。読んでくれてありがとうございます。

筆者noteより

斉藤亮太【思想・哲学・宗教、政治、文化】

投稿者の過去記事

私に「社会不適合者だ!」と言ってくる人がいますが、それならば社会が私に合わせればいい。え? 合わせられない? そんなに能力低い社会なら変えないとねぇ。
座右の銘「まず疑ってかかるのが科学です」ー

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