小栗旬はいま、なぜ俳優の労働組合を作ろうとしているのか | SeiZee

小栗旬はいま、なぜ俳優の労働組合を作ろうとしているのか

およそ1年前、ちょうど夏の終わりごろ、すごく大好きな俳優の小栗旬についての記事がSNSを中心に広く拡散されていた。

「殺されるかも」小栗旬が親友・鈴木亮平に洩らした“芸能界批判”

http://lite-ra.com/2014/09/post-426.html

この記事のなかで小栗旬さんは、芸能界における大手事務所の影響力や、今の芸能界への不満などを話していたが、気になったのはそこじゃなかった。

俳優の労働条件を改善するべく、俳優のための労働組合づくりを構想

小栗旬さんは、俳優のための労働組合をつくろうとし、そろそろ動き出そうとしているとのことが書かれていた。労働法を少しばかり学んでいる僕にとって、これはとても興味深い話だった。

へぇ~、俳優って労働組合ないんだ。

契約とかちゃんと「雇用契約」って事務所とかと結んでるはずだけど、労働組合なかったら、何か事務所(雇用主)に言いたいことあるときとか、自分たちで個人で言わないといけないのかな…。

この予想はあたっていて、日本ではどうやらそのとおりだそう。だから、事務所が強権的に仕事を組んだりできるし、お給料も決めたりできるし、ということがまかり通っているんだとか。

映画の国アメリカにはちゃんと俳優の労働組合があった

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(出典:http://www.sagaftra.org/)

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(出典:http://www.sagaftra.org/)

アメリカにはSAG(Screen Acotors Guild、映画俳優組合)なる組織があり、約12万人の俳優ら組合員を守る労働組合として機能しているようである。

Wikipediaによると、

SAGの綱領によると、包括的な労働契約を運用することにより、適正な報酬、福利厚生、労働環境を確保すること、組合員の出演する作品の利用に当たって報酬を確保すること、これらの作品の未承認使用から保護すること、組合員の労働機会の確保と拡大を図ること、が設立趣旨とされている。

らしい。

ふむふむ、逆に言えば、いま日本の俳優業界ではこれをしてくれるアクター(役割)が存在していないということになる。

なんだかだんだん不安になってきた。

もっとも、日本と欧米では労働組合のでき方が異なる

少しだけ異なる視点から考えてみると、なるほど日本と欧米では労働組合というのはでき方が異なっている。

日本というのは、それぞれの企業ごとに労働組合が結成されていくのだが、これとは対照的に欧米では産業ごとに労働組合が結成される傾向にある。(もちろん多分に例外はある。)

たとえば、トヨタには「全トヨタ労働組合連合会」という労働組合があるのに対し、アメリカには「全米自動車労働組合」という自動車業界全体のための労働組合がある。(ちなみに、日本にある「全日本自動車産業労働組合総連合会」というのは、各企業の労働組合の集まりである。)

つまり、

 日本:企業別労働組合

 欧米:産業別労働組合

という区別のなかで、日本の「映画・ドラマ業界」あるいは「俳優業」という産業で労働組合が成立しうるのかは興味があると同時に、大きなチャレンジでもあるだろう。

探したら、日本にも俳優の労働組合がありました

気になって、ググっていくと、中村錦之助さんの記事がありました。なんと昭和40年。いまから50年前。

記事の中身は、「東映京撮俳優クラブ組合」の解散について。

記事はこちら/出典:『週刊アサヒ芸能 特大号』 昭和四十年九月五日 通巻997号)

記事の中身を読んでみると、どうやら中村錦之助さんが作った東映の俳優たちの労働組合が会社側の都合で解散させられたというものでした。しかも、かなり俳優たちにとっては理不尽だったもののようで、錦之助さんの悔しさがにじみ出ていました。

もし興味ある方は、ぜひ読んでみてください。

「一人じゃ変えられない」、そして「命懸け」

ところで、今回読んでみて、小栗旬さんと中村錦之助さんが50年の時を超えて同じようなことを言っていたのが印象的でしたので最後にそれを引用させていただこうかと思います。

まずは小栗旬さんの言葉から。

(労働組合をつくるため、自分がその旗振り役になろうと考えているようだが、)「みんなけっこう、いざとなると乗ってくれないんですよ」と落胆ぎみ。

「たぶん傷つきたくないからだと思うし、今の自分の立場を失いたくないからだと思う。その気持はわかるけど、『意外と口先だけで覚悟がねえんだな』って思うことは多いし、ちょっと悲しくなりますね。僕はどこかで、無理してまでこの世界に生き残っていたいとも思ってないんですよね。だからこそ、変えるしかないじゃんと思ってる」

「ここのところはちょっとね、負け始めてます」「組織に。やっぱり組織ってとてつもなくでかいから、『自分は誰かに殺されるかもしれない』くらいの覚悟で戦わないと、日本の芸能界を変えるのは相当難しいっすね」

そして、50年前の中村錦之助さんの言葉

「今度の組合運動を通じて、ぼくは俳優の団結のなさ、というものを痛感したなぁ。いくらがんばってみても、一人で出来るもんじゃないんだ。それを、自分だけよければいいという人が多すぎるんですよ。なにもぼくだって、組合なんか作りたくて作ったわけじゃない。(中略)…現在、労働者としての俳優の立場は、あまりに弱すぎる。契約にしても、会社から提示されるままに一方的だし、まったくといって言いほど、話し合う余地がないんだな。
ぼくら組合員は一生懸命だった。ぼくは死にもの狂いでやってきたんだ。」

二人の間には、「一人じゃ変えられない」、そして「命懸け」という共通のキーワードがあるように感じた。

ふむ、旧態依然の現状を打破するために必要不可欠な2つのワードなんだろうと思いつつ、命を懸けられるものあるかなぁと悩む僕でありました。

おしまい

徐東輝

徐東輝【政治】

投稿者の過去記事

若者と政治をつなげるivote関西代表。ダボス会議グロバールシェイパー。京都大学法科大学院生として学ぶ傍ら、政治教育・メディアのあり方を探っています。日韓×憲法の視点で執筆中です。

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