【銃規制】銃とビール瓶、一体何が違うの?

 アメリカの銃規制について「賛成か、反対か。その理由。」という題目をいただいたため、これに関して述べる。結論から言えば、賛成でもあり、反対でもある。
 
 
 

なぜビール瓶で人を殴ってはいけないのか

 銃規制を考えるために、なぜビール瓶で人を殴ってはいけないのかを考えることから始める。ビールで人を殴るのが許されない一つの理由は「危ないから」である。ひょっとしたら「危ないから」に尽きるのだが、それだけではつまらないのでもっと違う角度からも考えてみよう。
 
 
 
違う角度からの考え、それは例えば、ビール瓶が存在する理由と「人を殴る」という行為がマッチしないからだというものだ。そう。ビール瓶が存在する理由は「おいしいビールをおいしく届けるため」であって、「人を殴る」ためではないからだ。
 
 
おっと、「ビールは美味しくないじゃないか」というツッコミはここでは勘弁してもらいたい。
 

 

https://roomclip.jp/photo/tX8D より

https://roomclip.jp/photo/tX8D より

 
 
 そうは言っても、存在目的以外の用途がないわけではない。例えば、ビール瓶がインテリアとして飾られていることもあるし、花瓶代わりに使われることもある。確かに、おしゃれな瓶もあるからだ。これらの用途は許されている。より正確に言えば、積極的に禁止されるものではない。というのも、そういった使い方をしても問題がないからだ。なぜ問題がないのかという問がここに生まれる。
これを解決する方法は二つある。問題が生まれない理由をとことん問い詰めていくことと、問題が生まれる場合を検討し、問題がある場合以外は許されると考える方法だ。ここでは後者の手法を採用してみよう。
 
 
http://www.interiordesignbox.com/?p=8262 より

http://www.interiordesignbox.com/?p=8262 より

 

ビール瓶で人を殴ってはいけないのは「そういう規範があるから」

 先にあげた、ビール瓶で人を殴ってはいけない理由は、「怪我をさせてしまうから」が最も説得的であろう。対して、ビール瓶で鹿を殴って猟をすることは許容される。これを極めて強く否定する人は少なかろう。ところが同じ命であるにも関わらず、人間を殴打することにビール瓶を使うことは許容されそうにない。その理由は畢竟のところ「そういう規範があるから」に過ぎない。
 
 
 
 つまり、他者を傷つけてはいけないというルール(危害則)があるからに過ぎないのだ。あるいはもっと広く、他者に迷惑をかけてはいけないからというルール(迷惑則)のためかもしれない。迷惑則に従えば、ビール瓶にセメントを詰めてゴミとして出すことは、回収業者あるいはリサイクル業者に迷惑をかけるので、許されなさそうである。これは「常識の範囲内」で処理される曖昧なところと言える(やれやれ)。以上より、ビール瓶は危害則と迷惑則に抵触しなければ、どう使っても良さそうである。
 
 
 
 
 このようにビール瓶の場合、本来の存在目的に適う使い方と危害則と迷惑則について問題が起きないものが許されている。
 
 

 

 

じゃあ銃の場合は?

ここで本論のテーマである銃規制について考えれば、他者に危害をかけず、迷惑をかけない限りにおいては許されるということになりそうだ。これはその通りだ。
 
 
 しかし、問題が発生する。銃や鉄砲はその歴史的な登場が、そもそも戦争のため−換言すれば、人を殺すため−のものであり、本来の目的に適う使い方は(危害則に抵触するため)許されないということになる。
 
 話を転じよう。日本刀の場合はどうだろうか。この時も「殺人」のために作成または所持することは許されそうにない。しかし、 日本刀は芸術的評価も高いと言われ、酒呑童子を切り倒したと伝わる「童子切安綱」、徳川家を呪ったという「妖刀村正」、信長が持ったとされる「へし切長谷部」などを美術館での展示することは許容されるし、居合道のような競技のための使用も許されるだろう。
 
 
 
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さて、包丁の場合はどうだろうか。基本的に調理のために製造されており、一般に特別な許可なく手にすることができる。お気づきだと思うが、やはり包丁も殺人に利用することは許されない。というよりもむしろ、その使用目的の設定のために殺人に使われることは想定されていないのである。これは使用目的が限定されるようになった、刀についても同じであろう。
 
 
 
 
 
 
なるほど、これらと同じように、つまり銃については危害則に基づき「殺人のために所持すること」を禁じるべきであるし、「携帯することによって生まれる不安」があるため迷惑則に沿って禁じられるべきであろう。ところが、例えばビール瓶で鹿猟をすることが許されるように、銃や鉄砲のような火器を猟や競技のために使うことは許された方が良かろう。もちろんそれは他者に迷惑をかけない限りにおいてではあるが。
 
 
 ところで、全米ライフル協会はアメリカ合衆国憲法修正第2条「規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。」に基づき、政府に対する「抵抗権」の担保のために銃規制は不適当だとしている。しかし、この権利の意図するところは、「いつでも市民は抵抗できるんだから、勝手なことばっかやってちゃダメだよ、政府さん?」という政府に対する牽制だと解釈するのが妥当だと思われる。
 というのも国家が絶大な「暴力」を用いて国家秩序を保つような構造になっている現代社会を鑑みれば、市民は国家に勝てっこないので、「政府に抵抗する」ということがとりわけアメリカでは、有名無実な権利だと考えられるからである。
 よしんば銃の規制がなされないとしても、それはあくまで危害則と迷惑則に抵触しない限りであることはこれまでの議論でも分かる通りである。
 
 
 
 したがって、「銃規制をするのはいいけど、やり過ぎちゃダメだよ」あるいは「すべての銃を規制しなくてもいいけど、それは原則を犯さない限りにおいてね」といったところだ。どっちつかずなのではなく、規制するしないに関わらず、許されない範囲があるために、結局規制されますよ、という趣旨であると付言しておく。
 
 
 そういえば、ビール瓶を花瓶にすると水はけが悪過ぎて下から腐っていくので、やめたほうがいいですね。

斉藤亮太【思想・哲学・宗教、政治、文化】

投稿者の過去記事

私に「社会不適合者だ!」と言ってくる人がいますが、それならば社会が私に合わせればいい。え? 合わせられない? そんなに能力低い社会なら変えないとねぇ。
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