【夏休みに読もう!】本の種族についてと、貴方の夏休みをつぶす「哲学・経済学・純愛」

 

選書の前に、明らかにしたいことがあります。

 

それは、「本の種族」についてのことです。

 

本の種類といえば、恋愛、政治、社会、小説、SF、日常、ビジネス、並列的な単語が際限なく続きます。

ですが、そういうのじゃなくて、もっとしっくりくる分け方、もうそれは「本の種族」と言ってもよいようなものを、長らく探しておりました。

というのも、A型の私には、自分の本棚の政治カテゴリーに、例えば、リヴァイアサンとサンクチュアリが同居していることへの違和感が拭えなかったのです。

そう、名前の感じは似ている両作ですが、リヴァイアサンは、イングランド出身の哲学者であるトマス・ホッブスの著した政治哲学書であり、サンクチュアリは、ビッグコミックスペリオール(小学館)において連載され、1995年には永澤俊矢・阿部寛主演によって実写映画化もされた政治系漫画です。

 

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この2つの同居は、なんか違う。

古典的名著の高尚さを、漫画の低俗さが汚しているような構図に耐えられないゆえの違和感、とかいうのではなくて、単に、優れた2つの書籍は「違うもの」であるように思えたゆえの違和感です。

それで、テストが終わったリフレッシュとして、本棚整理を久しぶりにやっていたときに、その違和感を解消するような分け方、それはもうどちらかと言うと、「本の種族」による分け方と言うとしっくり来るものが浮かびましたので、書きます。(カキカキ)

私は、簡単に言うと、本の内容に着目して、以下の3つで分けました。

 

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つまり、

世の中の原理を記した書籍を、原理の種族に。

世の原理にそって発生した現象の様相を記した書籍を、現象の種族に。

現象への感性的な観察を叙述した書籍を、物語の種族に。

 

みたいな感じで。

 

ですから、リヴァイアサンは原理へ、サンクチュアリは現象へ、両者ともあるべきところに収まって、私の違和感も収束しました。

同じように、文理問わず多くの教科書は原理へ、多くの史実や事変の書は現象へ、多くの小説やコミックは物語へというふうに。

 

(サンクチュアリは実際、多くは物語に入るような「コミック」とはまた違う作品でしたので、少し悩んで現象へ。サンクチュアリは何の原理にそった現象の様相を記したコミックなのかと聞かれれば、答えるのは難しいけれど。とかく、教科書、小説、史実、事変、小説、コミック、はたまた、恋愛、政治、社会、小説、SF、日常、ビジネス、などのラベルには注意を払わず、本の内容そのものに厳密に着目して分けます。)

 

それとまあ、正直に言うと、君主論とまんがで読む君主論が原理のところに一緒に入ってる時には、「これもなんかやだな」と思いましたし、ロイヤル英文法とかTOEFL単語帳を手にした時には、「じゃあこれはどうしたもんか」と思ったので、以下の2つの種族を、気は進まなかったけど追加しました。

 

原理を希釈し、原理への導入を目的とするものを、原理導入の書として。

個別の言語体系そのものの構造を記すものを、言語の書として。

 

ですから纏めますと、

 

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以上のように、本は分けられるのかなと思いました。

今日の主題は選書なので、このことはこれで終わりにしますが、どの種族の本が好きかによって、人のパーソナリティを見るのは面白そうだなと思います。

私は、原理と物語が好きので、選書もそこからです。

 

:::選書、人間の条件(ハンナ・アーレント、1958年初版出版)

 

 

以前、私が読んだ際の感想は以下のようなものですが、多分わけわかんないです。

 

ギリシャ哲学に始まり、ガリレオによる望遠鏡の発明を経て、現在に至るまでの哲学と科学の在り方を基軸とし、一方で、自己の人類史観と信念によって定義した人間の条件、すなわち「労働」「仕事」「活動」を規定しながら、その諸観念の往復のうちに立ち現われ続けた人間の変遷を突きつけてくるような本であった。現代の世界進行が基本的に<制作>に牽引されたものであり、「活動」主体となっている者は科学者以外に居ないという構図には同意できるし、政治が経済を従属させることにできる「活動」から陥落していることも、感覚的に是認できてしまう。

 

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価値中立的な100文字感想としては、これは結構的を射ているんですが、それにしてもわけわかんないです。

ちゃんと読んだ人には、「確かにそうだったわー・・・?」ってなるかもしれませんが、ちゃんと読んだところで理解に達する可能性はすごく低いです。

なぜなら、ギリシャ哲学、特に、プラトンとアリストテレスについて、加えてマルクスについて、あと全体主義について、学問と科学とテクノロジーについて、ていうか、「テクノロジーについてって、なんについて?」と言いたくなるような壮大なテーマについて数多く、感覚として抑えておかないと、読み進められる代物じゃないからです。

私も、その感覚を多く欠いていたので、数十冊の引用書を併読しながら進んでいきました。

それこそ、プラトンの国家とか、最近の本でいうと善と悪の経済学とか、いろいろいろいろ。

にしてもわけがわからないことが多かったし、今でもわけわかんないです。

正直たまに、この人、ヘンに頭がよかったからこじらせただけのヒステリック女性なんじゃないの、とかも思いました。

 

でも、読んでよかったと思います。

変わることのない、変わるべきでない世界の変わり方についての彼女の言及に圧倒されながら、学生が、そのモラトリアムで触れておくべき種族の本について、なんとなく理解できたからでした。

伸びる手の範囲を一気に広げてくれる、「源著」なるものと、たまにこういうふうに出会います。

 

:::選書、経済学の歴史(根井雅弘、1998年初版出版)

 

 

以前、私が読んだ際の感想は以下のようなものですが、これは、少しわけわかんないです。

 

歴史学的アプローチという一極と、物理学的アプローチという一極の中庸を求めて思索し続けた、経済学の総体なるものを見て取った。つまり、過去への分析を現在において普遍へと昇華するものと、物体の運動の奥深い領域に存在する法則を導くかのごとくに現象に向き合うものとの間に繰り広げられた、経済人の相互作用への理解の最適化の歴史だ。無論のこと、経済の捉え方の糸口は、ここにしか見出すことができない。しかし、それは、私達の認識が一分野の学問に捕らわれることを意味しない。なぜならば、経済学とは学際そのものだからだ。

 

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価値中立的な100文字感想としては、これも結構的を射ているんですが、それにしてもわけわかんないかもしれないです。

ただ、ざっくり紹介してみるとすれば、現代経済学とか、主流派経済学とか、今、経済学を一時的に代表している経済学、つまりミクロ及びマクロ経済学のみを注視することを捨て、本来の経済学の総体を描いた本、というより、壮大な絵画という印象を与えてくれる本です。

一貫したテーマのもとに壮大なテーマが、適切な配色によって描かれているからそう感じられます。

この本の配色、つまり、経済学の総体という絵画を描くにあたってピックアップされた11人の経済学者については、序論にて著書の根井先生も、「海外の教授にセンスある人選でしょって言ったら、おおむねそうだねって言ってもらえたよ」って自慢してるんです。

経済学と倫理学がほぼ同値であった時代のアダム・スミスから、経済の理解の切り口を数理的な消費者分析へと転換したワルラスを経て、多分GoogleとかFacebookみたいなメガテック企業を想定してるんだろうなっていう新理論を提唱したガルブレイスまで、まんべんない、クラシックな、それでいて革新的な人選でした。

 

現代経済学の理論を感覚的に理解している人でなければ、「つらい」ってなることが間違いないんですが、経済学への入門を任せる書籍としては、絶対的に正しいです。

個別の理論の前に、歴史に眠る学問のダイナミズムを理解することが、なによりも大切だからです。

 

:::選書、Wuthering Heights(エミリー・ブロンテ、1847年初版出版)

 

 

和名、嵐が丘は、世界で唯一の純愛小説だと思っています。

 

世界の中心で愛を叫ぶとか、恋愛写真とか、泣ける恋愛小説はたくさんあります。

あの、現代に生きる人間のなんとなく掠れた色合いと、華奢で陽気なヒロインと、禁忌に苦悩する主人公のノスタルジーと、その他いろいろな魅力的なものが、私たちのツボをくすぐってきます。

 

一方で、嵐が丘、ヨークシャーの風が吹きすさぶ荒地では、特に、何もありません。

価値のない膨大な土地を引き継ぎ続けるだけの、粗野で、無教養で、庶民より低俗な地方のイギリス貴族の、変哲のない連綿とした営みと、一面のすすきと岩々がみとめられるだけです。

でも、東京より、何においても豊かでなく、現代人より、どの意味合いにおいても粗野な者の内に立ち現われた、恐らく、愛には、圧倒するような生命力があります。

 

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もうそれは理由ではありません。

理由から解放された純粋なる愛。

ただ、理由なく求め合う男女の間に、誰かが認めたエネルギー。

 

ただそれだけ。

それ以外は、すすきと岩と無教養。

それは粗野から生まれた。

だから、純愛小説を私は、嵐が丘以外に読んだことがない。

 

また、恐らくメインテーマは、「人間は、自分が本当に求めているものの正体を受け容れることができない」、というものかと思います。

ヒースクリフとキャサリンは、結局、愛を認め合う前に死にますからね。

その余韻に私たちは震えます。

 

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さて、選書をしてみて分かったことがあります。

私は、原理の本を一番大切にし、一番の感謝をします。

彼らは、新しい現象への視野を開かせてくれますし、今の私には、より広い現象への理解がなによりも重要だからです。

私は、物語に一番惹かれます。

彼らには、世界はそんなに魅力的だったねと、気がつかされることが往々にしてあるからです。

 

おわり(文責:編集部員 芦澤良太)

芦澤良太

芦澤良太

投稿者の過去記事

京都大学法学部の4回生で、2017年の夏までイスラエルに派遣留学中。もちろんSeiZeeによる派遣ではなく学部によるもの。場所が場所だけに、政治と宗教に関するアンテナは強制アクメ状態であるものの、経済も含め幅広く書いていきたい(書けるものなら)。

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